語りかたと,語るものと.

ぷよm@sの話.

【ファイヤー】ぷよm@s part19【やったなー】‐ニコニコ動画(9)

【ミスミス】ぷよm@s part20【ミスター】‐ニコニコ動画(9)

【ファイヤー】ぷよm@s part19【やったなー】  【ミスミス】ぷよm@s part20【ミスター】

数日前,最近のぷよm@sの変化について他の方がどう考えていらっしゃるかを教わる機会があって,ぷよm@sを見ている自分の視点がどういうものだったのか,とかについていろいろ考えるきっかけをいただいた(感謝!).

というわけで,これまでのぷよm@sと,最近のぷよm@sについて考えたことをまとめてみたい.

過去最長クラスの長文になったw ので格納.




ぷよm@sは,いたるところで指摘されているように,構成や演出がものすごくうまく,エンターテイメントとして非常に完成されている作品だ.

でも,これまたよく指摘されるように,ゲームを題材にした多くのエンターテイメント作品と違っている部分がある. それはかなり重要な部分での違いである.

たとえばヒカルの碁というマンガがある. ヒカルの碁は囲碁を題材にしていて,最初から最後まで碁を打つことがストーリー上重要な位置をしめる作品なのだが,私は何度読んでも囲碁についてはルールすら知らないままだ. 同じようにを読んでもマージャンのルールは知らないままだし,もし将棋のルールを知らなかったとして,三月のライオンを読んだあとでルールを覚えたとは思えない. これらの作品では,題材となるゲームに対して,そういう距離の置き方をすることが許されている.

しかしぷよm@sでは,そういう視聴の仕方は ほとんどあり得ないのではなかろうか. 私はぷよぷよをプレイしたことは一度もないが,ルールどころか連鎖のパターンや定石(?)も少しはアタマに入ってしまった.

ここに,ぷよm@sが狙いにとしていることと,ヒカルの碁その他の作品がやろうとしていることの違いが見える. ぷよm@sでは,作者介党鱈Pは,ぷよぷよを題材としたドラマを描き,そこでエンターテイメントをしたいと思っているだけではなくて,初代ぷよの内容についても大いに視聴者に伝えたいと思っているはずだ. おそらくぷよm@sでは,ぷよぷよについて「アレとコレとソレを伝えたい」という項目がまず存在して,そこから逆算して構成や演出が考えられている.

その結果としてぷよm@sでは,エンターテイメント性だけを考えるならば,そこからはみ出る部分が出てきてしまっているのではないだろうか.

一例を挙げるならばpart14,霊知の太陽信仰がかかってからの千早の回想.

「四ダブは五連鎖より強いのか?」

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「思い出ボム」と呼ばれている箇所だが,個人的にはここから始まるPと千早のやりとりは少しばかり長すぎて,ぷよぷよバトルの勢いを殺いでいるのではないかと思う.

ならば,この部分は削ったほうがいいのか.あるいは別の部分に持っていったほうがいいのか.

そんなことはない. これは「ぷよぷよについての」情報としては大事なものであり,またこの情報を伝えるためには,おそらく他のどこよりもここに持ってくるのがいいのだろう.

大事なのは,ぷよm@sでは多少のエンターテイメント性をはみ出すくらいぷよぷよ要素が強いために,ぷよぷよ要素についても圧倒的な魅力を持っているということだ. ヒカルの碁が囲碁の内容について囲碁界から注目を集めたという話は聞いたことがないが,ぷよm@sでのぷよぷよの内容は,ぷよぷよ界からも驚かれているみたいなのである. 「デスタワー」や「クイック」について,私は知らないなりにスゲーと思うが,ぷよぷよについてよく知っている人ですらスゲーと思っているらしい.

つまり完全なエンターテイメント性からはみ出しているからこそ,もっと魅力的になっているのがぷよm@sという作品なのだ. 作者の力量をもってしても,なめらかな見せ方にくるんで提示できないくらいにぼっこりとそびえたつ中身が,ぷよm@sをさらにおもしろくしている.

ところが最近のぷよm@sは,ぷよぷよばかりでなく,エンターテイメント性に包んで描くには少しばかりやっかいな人間関係のドラマを描き出そうとしているように見える. もとより純粋なエンターテイメント性からわずかにはみ出している部分こそが魅力のひとつだった本作が,さらにもうひとつ はみ出すポイントをストーリーに組み込もうとしているみたいなのだ.

最近のぷよm@sで,エンターテイメントという「外枠」が,さらにでこぼこしたものになっているように見えるのは,それゆえのことなのではないかと思う. おそらくそれにともなって,最近のパートには視聴者側の期待とすこしずれる部分が出てきている.

鱈Pならば,いままでのような単純な熱血バトルで,視聴者を熱狂させ続けることだってできたはずだ. そうであるにも関わらず鱈Pは,わざわざ「でっぱり」をもう一つ,エンターテイメントの皮にくるんで差し出そうとしているのではないか.

……そういう見方が正しいと仮定して,そのことをどう考えるかについてはいろいろな意見がありうるだろう.

で,以下に書こうとしていることは,あくまでも私の個人的な考え. べつの意見を否定するものではないです.

私としては,純粋にエンターテイメント性からはみ出した部分がぷよぷよ以外にも出現しようとしているというのは,今までよりももっともっとすごいことなんじゃないかと思う.

たしかにぷよm@sはエンターテイメントとしてとても優れている. 語り方がとても巧みだ. しかし「だからこそ」ぷよm@sは面白いのか?

私の見ている立場からすれば,それは違う. 私にとって,なぜぷよm@sが本当におもしろい作品になっているのかというと,語り方がうまい作品だからではなく,語る内容が面白い作品だからだ. ぷよぷよバトルが面白く,ストーリーが面白いからだ. 手に汗握る逆転劇. その世界の中にいるかのような感情移入. それこそが本当に面白いことで,私の心にいつまでも消えずに残るものなのだ.

語り方というのは,語る内容を視聴者に届けるためのインターフェースである. インターフェースが優れているということは確かに重要なことだ. インターフェースが優れていなければ,おそらく私はぷよm@sにハマらなかったかもしれないし,ぷよぷよ界の人やニコマス外部の人がぷよm@sに魅了されることはなかったかもしれない. しかし,いまとなっては,インターフェースがひとつの傷もなく滑らかであるかどうかは私にとって本当に重要なことではない. それを介して語られている内容こそが私にとって重要な問題なのだ

ぷよぷよに詳しいぷよm@s視聴者の多くは,もし以降のぷよm@sシリーズでぷよぷよバトルの熱が下がったりしたら,たぶんがっかりしてしまうだろう. 同じように,私はぷよm@sシリーズが終わるまで律子さんや真の復活が描かれなかったりしたら,美希との確執がうやむやのまま残されたりしたら,やっぱりがっかりしてしまうと思う. タダで見ているくせになんだその言い草は! と言われたってどうしようもない. 私がほんとうに面白いと思っているのはそこだからだ.

もし私が面白いと感じている部分がほんとうに前面に出ようとしているのならば,エンターテイメント性なにするものぞ,もっとやってくれ,と私は思う. いままで多少のエンターテイメント性を犠牲にしてまでも,ぷよぷよについての玄人すら唸らせる濃さでもって魅力を放った本シリーズである. その過剰さが,勢いが,さらにドラマにまで及ぼうとしているのならば,エンターテイメント性がさらに多少犠牲になったからといってどうということはないじゃないか. 本当に面白い展開は,まさにその先にあるのだから.

もちろん,私のこの見方は一般化することはできない. さまざまな層の視聴者すべてに当てめることができるものではないし,今後の展開もどうなることやらさっぱりの現状において,私個人の見方もコロッと変わる可能性だってある.

そんな感じの留保をしつつ,以上,いま私がぷよm@sの変化をどう受け止めているかという記事でした.

繰り返しますが,この記事は,まず寄って立っている仮定そのものが間違っているかもしれない(ためにすべてが間違っているかもしれない)です.また他の方の違った見方を否定するつもりもまったくありません.念のため.

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by LIBlog | 2010-08-02 23:24 | 動画サイト関連 | Comments(0)
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