カテゴリ:雑記( 67 )

続空さんのこと

ありがとうございまし、た - 続・空から降ってくるので
締め切り間近の仕事があるんですけど,これ吐き出さなきゃそっちに集中できないんで,吐き出しておきます.やっぱいろいろアテられてしまったかな.
これはカズマさん含めて誰かに伝えたいことというわけでもないですし,ただの自分語りですので,どこにもトラックバックとかは送らないし(やり方も知らないし),好きなように頭に思い浮かぶことをつれづれなるままタイプして投げ捨てておこうというものです.
いまも昔も低空飛行な当ブログですが,一時期なんか異様な更新をしてた期間があります.頻度,というより内容的に.2009年~2011年くらいかな.面倒なので確認はしませんけど.その時期はたぶん,このブログとその記事の対象が自分の人生,というのは言い過ぎですが頭の中の大半を占めていて,その他のことはどうでもよかったような感じだったんじゃないかな,と思います.
そういう,よく分からない状況に私を陥らせた主犯の一人は,まちがいなく続空さんだったと思いますね.いちおう,それはきっかけにすぎないとは言えますが,そうはいってもその時期に継続的に燃料にもなっていたように今は思います.
続空さんに関しては,反応がもらえた! とか,リンクからうちにたくさん人が訪ねて来られた! とか,そういうこともきっかけではあったのでしょうが,それよりも自分の書く文章の内容に関してフィードバックがあるということが,このブログの内容に関して大きく影響を与えたと思うんです.ああそうかこういう内容が,こういう対象が,そのフィールドで受ける,あるいは受けない,のか,みたいな.もちろん,自分には自分の読みとれるものしか読み取れないし,書きたいものしか書けないわけですけど,そのフィードバックは自分の文章を思ってもいない方向に引っ張っていき,結果その時期の文章はいま読み返すと自分が書いたとは思えない文章が並んでいますね.というか,今の私には当時の私の文章が読めません.恥ずかしいとかじゃなく,書かれている内容が読めない.理解はできるけど読み取れないんですよね.
それはなんだかすごく面白くて,あの時は主にぷよm@s(とそこからいろいろ読み進めていったノベマス・架空戦記シリーズ)の面白さの熱に浮かされていたし,その勢いのまま書いていたんで,その時期にしか書けないし,同じように熱を持っていた時期にしか読めないような,そういうものだったんじゃないかなと.で,それは続空さんという存在がなければそういう方向には行けていなかったんじゃないかと.
だから,続空さんは,たぶん私だけじゃなく,いろんな人をそういう方向に引っ張っていったんじゃないかなと想像するわけです.そんなことができたカズマさんというのは,凄いなぁと思うわけです.
これは余談ですが(といっても余談でない部分なんてこの記事にはありませんけど),今の自分に読めないような文章書いてそれが何になったんだということですけど,その時期が過ぎて,だいたい2011年から2012年くらいまでですか,そのくらいの文章は今読んでも読めるんですよ.それはたぶん嵐のような時期が過ぎて,その後に自分になんかの残骸が残ってて,それはその後の文章に影響しているし,もっと言えばそのフィールドを離れた今の自分にも確かな影響を及ぼしていると思うんですよ.だってその時期の自分に学ぶところは今でも多いですから.
そんなわけで,カズマさんは全然そんなつもりなんかなかったと思いますけど,このブログの,というより,大げさでなく私の人格とか人生とか,あるいは今やってる仕事とか,それができているのも続空さんの影響があったからだと思いますよ.
だから続空を続けてくれとか,そういうことは言えませんし,ありがとうございましたというのもなんだか違うような気がしなくもないですが,とにかく,そうであるということだけは吐き出しておきたいなあと,そう思ったわけです.
ちょっと呼ばれたので(いま職場なんで……),とりあえずここで締めます.なんというぐだぐだ.

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by LIBlog | 2016-01-25 02:57 | 雑記 | Comments(0)

 『新たな門出にふさわしいアイマス動画』

ニコマス大喜利第3回 『新たな門出にふさわしいアイマス動画』 :そんなことよりアイマスの話をしようぜ - ブロマガ

すごろくさんの記事を読んで,衝動的に参加したくなったで候.

というわけで,私からはこちらの作品をおすすめさせて頂きます.

【ニコニコ動画】【i-Fest@!】バイバイ、アイドル



すっきりぽんP作,「バイバイ、アイドル」

すっきりぽんP作品といえば,軽妙な言葉づかいが心地よいテキスト,くるくる変わる表情が楽しい立ち絵.そして抜群のユーモアと,これまた群を抜いたアイドルの可愛さ,そしてある年齢以上にはたまらない懐かしさの小ネタもあいまって,大人気を博しておりますわけでして,同氏はいまさら私が紹介するまでもないニコマス界の巨人のひとりであります.

代表作 アイドル寮空室あり! の連載をはじめ,単品あるいは合作,またはイベント参加作などなど,いずれ劣らぬ名作がマイリストから辿れますので,まだご覧になっていない方がおられるならば,ぜひぜひ今すぐ見に行くべきでありましょう.

さて,名作ばかりが並ぶすっきりぽんPの作品でありますが,なかでも私にクリティカルヒットするものといえば,gouzouさんのお題にありますような 「門出」 を描いた作品であります.

前述の 「アイドル寮空室あり!」 は,見方によっては現在までの連載すべてが 「門出」 を描いたものと言えるかもしれませんし,また最新作にして大人気作であります 「うちのクラスの天海さん」,某名作とのつながりがオッサン心をくすぐる 「娘がアイドルになると言い出した。」 などなど,どれをとっても笑いあり,涙あり,ああ春香さんは限りない未来に向かって歩き出そうとしているんだなあ,私も明日に向かってがんばらなきゃ,と元気がもらえる作品ばかりなのです.

できたらこれらすべての作品をお勧めしたいところでありますが,やはりピンポイントで挙げさせていただくのがインパクト的によろしかろうと思い,あえてここでは一作に絞って 「バイバイ、アイドル」 を勧めさせていただきたく存じます.

新たな道に身を投じるということは,さまざまなありえた選択肢の中から,ただひとつを選ぶということでもありましょう.

選んだ道をすすんでいく中で,多くの失われた可能性が,もしかしたら将来あなたを後悔の渦に誘い込むかもしれません.

また,未知なる世界に足を踏み入れることは,つねに不安をともなうものでもありましょう.

そんなとき,頼りにできるのは,あなたがいままで積み重ねてきた経験.それは身を守る武器であるのと同時に,先の見えぬ中,エイヤッと背中を押してくれるきっかけを与えてくれるかもしれません.

「バイバイ、アイドル」 の登場人物たちも,あなたと同じ.

直近に迫られた選択のいずれを選んでも,後悔するかもしれません.先も見えません.不安と,葛藤.

しかし,そのまま視聴を続ければ,この物語で彼女たちがつかむ答えの先に,後悔はないであろうと,あなたは確信を持つでしょう.

彼女たちには支えてくれるものがあったからです.仲間と,そして今までの経験と.

なんだか,自分にもできそうな気がしてきませんか? 晴れやかな気持ちで,空を見上げながら,新たな道に飛び込んでみようと,思えてきませんか?

私も,新たな門出というにはちょいと年を重ねすぎましたが,未知なる世界に進むときはいつも,不安と葛藤に押しつぶされそうな気持ちを抱えています.

でも,彼女たちを見ていると,やるしかないかあ,と自分を奮いたたせることも,またそれほど難しくはないのです.

新しい道に進まれる方に,心からお祝い申し上げます.
あなたのこれからの健康とご活躍を,お祈り致します.

できたら,あなたに,そして 「バイバイ、アイドル」 の彼女たちに恥ずかしくないように,私も精進していこうと思います.
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by LIBlog | 2013-03-26 12:49 | 雑記 | Comments(0)

ジュンク堂新宿店 閉店に寄せて

かねてより知らされていたことではあるのだが,ジュンク堂新宿店が2012年3月31日をもって閉店してしまった.

「書店が果たさねばならない役割がある」――ジュンク堂新宿店“最後の本気” - ITmedia ニュース

最後に残されたメッセージが,わずかながら望みをつなぐに足るものであるというところが救いではある. ……救いではあるのだが,やはり寂しい気持ちに変わりはないのだ.

東京にいた学生時代,書店に立ち寄るためだけに,休日になるとよく新宿に行っていた. 青山ブックセンター,紀伊國屋書店と,丸一日を潰せるだけの大きな,そして楽しい書店が集まっていたからだ.

だが悲しいことに,いつしか青山ブックセンターは撤退してしまった. 知らずにルミネを登っていった時のショックは,いまでも忘れがたい.

それでも新宿は楽しい場所であり続けた. ジュンク堂があったからだ (昔からあったような気がしたが,Wikipediaを見ると新宿店はどうやらけっこう新しいようだ. 記憶なんてあてにならないものだな). 東京を離れてからも,近くに立ち寄る機会があるたびに,たとえ30分だけであっても必ずジュンク堂新宿店を尋ねることにしていた.

ジュンク堂が閉店してしまったら,新宿にはもう遊びに訪れることはないかもしれない.

閉店前,さいわいにも3月にいちど東京を訪れる機会があった. 当然のように新宿まで足を伸ばしてジュンク堂に立ち寄った. ああこれが最後なんだな,と思いつつ,いつものように両手いっぱいに買い物をした. よく 「本は買わずに後悔するより買って後悔しろ」 と言うが,ジュンク堂では買わずに後悔したことはない. あそこは読むのか分からないような本まで買わせる,謎の魔力に満ち満ちた場所だったのだ. ジュンク堂では逆に 「本は買って後悔するな,買わずに後悔しろ」 みたいな格言が必要なのではないか.

それにしても,青山ブックセンター,ジュンク堂,西武新宿駅前の書店(名前忘れた)……. 新宿のお気に入り書店はどうしてみんな閉店していってしまうのだろう.

もちろん書店なら,大型書店に限っても他にもいろいろある. 紀伊國屋書店は二店舗あるわけだし,青山ブックセンター跡地のブックファーストだってある. 高田馬場まで足を伸ばせば芳文堂もある. ……そうではあるのだけど,学生時代から通い慣れていた場所というのは,そのときどきの思い出があり,そしてそれにともなって格別の思い入れがあるものなのだ.

そういう場所がなくなっちゃうのは,やっぱり,どうにも寂しいもんなんだよねえ.
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by LIBlog | 2012-04-03 20:20 | 雑記 | Comments(0)

現場とリーダーの情報交換について

粒度が細かい指示について - medtoolzの本館

面白かった. 以下,自戒を込めて思ったことをメモ.


状況を打開していく上で、問題の粒度をふるい分けることは、リーダーの大事な仕事になってくる。

「必要以上に細かい指示」は、普通に回っていた現場に対して、無能がある種の「コミュニケーション」を試みたときに発せられることがあって、これがものすごい迷惑を生む。

粒度のふるい分けは,リーダーの仕事というより,現場の最前線からトップまでのあらゆる段階の人々それぞれの仕事なのではないかと思う.

粒度の錯誤は,トップから現場までのどの段階でも生じうる. しかし,粒度ふるい分け問題が問題として認識されていれば,その錯誤はどの段階でも解消しうる. 粒度の錯誤を最小限にとどめるためにも,現場とトップのコミュニケーションは,トップから降ってくるまで待つのではなく,現場側からトップへも持ちかけるべきだろう.

たとえば現場側がトップ側に対して,問題の粒度をコントロールしながら情報伝達していくことは可能だ. 可能なだけでなく,それは中間管理職とか,ある程度責任を負った現場の人の仕事のひとつであるはず.

問題の粒度をコントロールするためには,現場側は情報をそのまま出すのではなく,整理された形で出さなければいけない.

整理された情報の出し方の一例は,インフォームドコンセントのやりかたに学べると思う.

現場側は複数の選択肢を用意し,それぞれのリスクとベネフィットをトップ側が実感を持てる形で提出する. トップ側はその中の一つを選ぶ. もちろんトップ側から発されるどんな質問にも,現場側は答えられる準備をしておかなくてはいけないけれど.

ただ,このやりかたはトップ側の自尊心に触れる恐れがある.


恐らくはたぶん、業界をまたいだいろんな場所で、「俺はえらいんだ」と誇示したい馬鹿な瞬間が、きっとあるのだと思う。

こうした派生的な微妙かつ繊細な問題については,いかに対処していくかということは私のほうが教えを乞いたいものでございます.

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by LIBlog | 2012-03-04 19:13 | 雑記 | Comments(0)

過去と現在をつなげてしまう,ということ

下手にニコマスを上げて火傷をした場合、どのような応急処置、治療をすればいいですか? - 内科部長(循環器)インタビュー

内科部長(循環器)氏へのインタビュー. ひと月くらい前のやつかな? 最初読んだとき妙に心に残って,たまたま今回読み返してまた心に残ったので,これについてちょっと考えてみます.

印象的だったのが,この考え方.


未来への不安が、今この瞬間の痛みを作る。今この瞬間の痛みが、過去を耐え難いものにする。つまり人の認識の中では時間は未来から過去へと流れるのです。(太字強調は引用者による)

ということで,ここで氏がおっしゃっているのは主観的時間は未来から過去へと流れる,という,一見したところ直感に反した時間の捉え方です. 客観的時間は過去から未来へと流れ,主観的時間は未来から過去へと流れる,とも言えるかもしれません.

ですが,ほんとうに主観的時間は未来から過去へと (一義的に) 流れるのでしょうか? 客観的時間と同じく過去から未来へと流れることはないのでしょうか? どうも私にはそうは思えません. 過去のあれやこれやのできごとが,いま現在の心の痛み (あるいは逆に幸福感など) を生んでいる,という認識をもつことはありうることなのではないでしょうか.

いや,ありうるというよりも,ふつう人はそのような認識を持っているのではないかと私には思えます.

したがって,上のような時間の捉え方というのは,もうすこし正確に言うとこのようなものになるのではないでしょうか. 主観的時間が未来から過去へと流れるのは過去の出来事の位置づけが変わる瞬間である,それ以外の場面では,主観的時間といえども過去から未来へと流れるのだ,と.

すなわち,過去のできごとの解釈の変更は未来→現在→過去という方向でしかなされず,位置づけ (解釈) の変更が起こったその後では,その位置づけ (解釈) をもとにした主観的な時間が過去から未来へと流れる,ということなのではないでしょうか. いまのところ私は氏の時間の捉え方について,このように理解しています.

内科部長氏のあの文章が基本的には過去の出来事の解釈の変更をうながすもの (治療的対話) である以上,「認識の中では未来から過去へと時間が流れる」 と言い切ることは正しいと私は考えます. しかし,どのような局面であっても正しいかと言われると,おそらくそうではないでしょう.

…….

だいたい以上のようなところが私の理解,ということで,つぎにこれを読んで思った,ひょっとしたら上の文章とは何も関係ないかもしれないことをつれづれなるままに.

あるできごとは,それよりあとの観点からいくらでもその解釈を変えることができる,そのできごとの理解は可変である,ということがこの話の眼目だと思うのですが,個人的には,そこにはある種の暴力性を感じなくもないです.

なんか失敗をしでかしたことがあったとして,あとから考えて,その失敗は現在の成功の糧になったと位置づけることはできるでしょう. でもそう考えたとき,その失敗は現在の成功の 「ためにあった」 ということにならないでしょうか. 過去の解釈を現在の都合で変えることというのは,過去の自分を現在の自分のしもべにするということになるのではないでしょうか.

いや,だからどうしたと言われると,べつにどうもしないんですが……. ただ,心に引っかかるものがないわけでもないんですよね.

もちろん,こんなことは,私が過去の出来事がつらくてたまらないという状況にないから言えることではあるんですけど.

基本的に過去の自分というのは他人だと思います. 赤の他人とは違って,リアルに過去の心情を思い起こすことはできるけど,それは現在の観点からのものだから,本来そうであった心情とは確実に違うはず. なまじ思い出すということができてしまう以上,赤の他人よりタチが悪いとも言えるかもしれません.

私も過去を思い起こしてみると,いまでも 「うわぁっ!」 と思わず声を上げたくなるような失敗がいくらでも出てきます. あの時の自分は若かった. なにも分かっていなかった. 調子に乗っていた. ……ですが,そうやって否定している過去の自分は,今の観点から評価を与えている自分にすぎません. それはいまの主観から捉えた自分であり,そのときの自分そのものとは別のなにかであるに違いないでしょう. 別に否定に限らず肯定するにしたって,何をするにしたって,想起する過去の自分は,過去の自分そのものとは違うもののはずです.

でも,それを別ものであると心から自覚することは,やっぱりできないですよね. だってその過去の自分がいまの自分をつくっている (という解釈のもとに,通常はいる) わけですから. だからどうしたって,過去の自分は,いまの解釈のもとに,暴力的な切りとり方でしか思い起こすことができないわけで.

時間が未来から過去に流れるものだとしても,過去から未来に流れるものだとしても,いまの自分とは本質的には無関係なはずの 「本来の」 過去の自分は,いまの自分からはもうどうやっても届かないものなんだなあ,と考えて,少しばかり寂寞感をおぼえるのでありました.

なんか,自分ほんとにめんどくさい寂しがり方をしますねえ. 自分で書いててイヤになってきましたよホントにw

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by LIBlog | 2011-10-04 20:57 | 雑記 | Comments(2)

人はなぜ物語を読むのか

ここんとこずっと,昨日書いてた話が頭を離れない. いつもは考えてたことを文章にして出力すると,憑きものが落ちたように頭からぬけていくんだけどなあ.

なもんで,その考えが頭から離れるまで,少しだけ昨日の話の続きを.

といっても,今日の話は多くの人にとって本当に興味のない話だと思うです. ……ていうか昨日の話を読んで下さった方がいらっしゃるってことにちょっとびっくりしてるのだけど,あれって後半に行くにつれてつまんなくなるでしょ?www 昨日の話は,いちおうは公共的な問題から出発してるんだけど,どんどん自分の問題意識の方に話を引っ張っていって,最初の問題からずんずん離れていっちゃってるなあ,と思うからねえ. ずんずん.

そういう意味では,今日の話はあくまで私の問題意識だけの話なので,ほとんどの人にとってマジつまんない話だと思うです. おそらく間違ってると思うしw とまずは言いわけをしておいて,と.

…….

昨日の記事では,人はその人自身のフィルターを介して現実を受け取ったり他人を理解したりしているものだ,と書いた. 現実や他人をいったんバラバラにして,自分に分かる形に並べかえて整理して受け取り理解するものだ,と. で,物語を読むときも自分のフィルターを介して読むものだから,物語の中ににじみ出ている物語作家のフィルターに共感や反感を抱いたりするものだと.

で,最後の方になって,じゃあなぜそもそも人は物語を読んだり (あるいはつくったり) したいのか? という疑問を抱いてしまったのだった. こんな根源的な疑問に,薄学の私がなにかしらの答えを思いつくはずもないよなあ,などと思っていたのだが,ひとつ 「こうかな?」 という考えが浮かんできた. もしかしたら,順序が逆なんじゃないかと.

昨日は,現実を受け取るときとか,他人を理解するとき,自分の人生観や倫理観でフィルターがかかってしまうことは不可避である,という流れの話をしていたんだけど,そうじゃなくて,本当は逆なんじゃない? 現実を受け取りたいと思ったり,他人を理解したいと思ったりするその動機の一部に,自分の人生観や倫理観の確認作業をしたいという思いがあるんじゃないか.

こうも言いかえられそうだ. 昨日までの話は,現実の受容や他人の理解は 「宝さがし型」 で,まず受容や理解をしたいという思いがあり,でもどうしてもそこにフィルターがかかってしまうと. いっぽう今日の話は 「仮説検証型」 で,まず仮説があり,それを検証するための手段として現実の受容や他人の理解をしたいと思うと.

この方向に極論していくと,人生観や倫理観のフィルターの検証のために 「だけ」,現実の受容や他人の理解をするのだ,という主張にまで辿りつく. そこまで言う人はさすがにいないだろうけど.

さて,もしそうだとしたら (本当にそうかどうかは措く.仮にそうだとしたらどうなのか,ということに興味があるから), 人はなぜ物語を読みたいのか,という疑問に答えられそうだ. 人は自分のフィルターの確認をするためにあらゆる体験をしたいのだから,物語を読むことはきわめて効率のよい確認の手段になるだろうから.

そうならば,人は自分自身 (のフィルター) にしか興味がなく,それだけが,そしてそれを正しいと思うことだけが大事なことなのだ,というなかなかに悲しい結論が導かれてしまいそうだ. だけどたぶん,そんなはずはないだろう. 少なくとも現実の受容や他人の理解の背景が,それ 「だけ」 と言い切るのは間違っていると思う. ……でも,そうではあっても,ごく一部だけならば,そういう動機だってあるんじゃないのか? という思いもぬぐいきれずに残るけれど.

さて,仮にその考えが正しいとしてもさらに,じゃあなぜそのフィルターが正しいことを確認したいと思うのか? とか,そもそもたとえば乳幼児は人生観だの倫理観だののフィルターが備わってるはずもないのに現実を受け取ってるじゃないか,そのときはどういう受け取り方をしているのか? とか,すぐさま色々な疑問を思い浮かべることはできる. そうして問題は果てしなく続いていく.

……いくんだけど,そろそろそういう疑問については自分の能力を超えるってだけじゃなく,自分の興味も超えてきているみたいな感じ. こーいう疑問について,あんまり考えてみたいと思わないんだよな.

というわけで,そろそろ自分の考えを存分に頭から押し出せたかなあ,と思うので筆を置こうと思う.

いやー,相変わらず主張も構成も何もない,ホントにどうでもいい文章だわい.

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by LIBlog | 2011-08-17 23:17 | 雑記 | Comments(0)

物語に対する共感や反感とは何なのか?

ひさしぶりにぷよm@sの話……かと思いきや,そうでもなかったり……と思ったら,そうでもあったり? いや,そうでもないですハイ.

ちょうど今から一年前にtwitterで交わしていた,ぷよm@sについての会話を読み直していて,いろいろ思うことがあった.

Togetter - 「2010年8月14日 ぷよm@sについて,@L_I_Bと@kazumaxさんと@kitchompさんとで語りあったよ」

↑この会話. これ,いま読み返すと きっちょむPが語られていることが非常に味わい深くて,いろいろと考えさせられた. この当時はうまく応えられていないんだけど.

それはたとえば,こんな感じの言葉.


受け手と作り手の価値観が食い違ってるって言うか。

あるいはこちら.

ただ、罪に対する罰ってのも難しい問題で。アイドルに悪いことさせるのも、そのアイドルに酷い目に合わすのもどちらも作者の役目。そのどちらの描写もファンにとって気持ちいいものでないわけで。

今までに,ぷよm@sのネガコメ問題とか,最近だとうさぎドロップの第二部の展開に対する反応なんかを見ていて,なんとなーく違和感があった.

私はあんまりニコ動でネガティブなコメントがつくこととか,作品に対する否定的な意見をネットで読んだりとか,そういうことに強い反発心を持ったり不快感を抱いたりするほうではないんだけど,やっぱりなんかどっか感覚が違うというか,そういう感触があった. でも,それが何なのかよく分かってなかったんだよね. で,それがきっちょむPのツイートを見て,ああそういうことか,と分かった気がした.

それは何かというとたぶんこういうこと. 今まで,マンガでも動画でもなんでもいいんだけど,物語の展開とかキャラクターの言動やなんかに違和感や不快感を覚えたとき,どうして 「その作品の作者を非難する」 って方向に行く人がいるのかな,ってのが腑に落ちなかったのだ. で,ああそっか,その展開・言動は作者のさじ加減ひとつだと考えるからそうなるのか,と.

現実世界で理不尽で不合理で腹立たしいことが起こったとき,私たちはそのできごとに責任を負っている人を責める.容疑者だったり上司だったり首相だったり他国だったり. ではフィクションの世界で,同じように理不尽で不合理で不愉快なできごとが起こったとしたらどうだろう. ……私としては,どうもそういうときは現実世界と同じように, 「作品中で責任を負っている人」 に対して腹が立つことが多いみたい.

でもよく考えたら,その登場人物のその言動を描いているのは作者なんだから, 「作者に責任がある」 という発想もあるはずだよなあ,と改めて気付いた. そういう発想が自然に出てこないところをみると,私はあまりメタに物語を読まないようだ.

…….

でも,物語の展開や,登場人物の言動について,本当に作者に責任があると言えるんだろうか?

私は創作をしないから本当のところは分からないのだが,物語作家たちからよく 「キャラクターが勝手に動く」 という現象を聞く. もしそれが本当ならば, 「勝手に動いた」登場人物たちの振る舞いについて作家が責めを負うというのは酷な話だ,と言えないだろうか. 物語のできごとや展開についてもそうで,たしか宮崎駿だったと思うけれど, 「映画は映画になろうとする. 作者の役割はそれを間違えずになぞることだ」 と言っていたと思う. もしそうならば,その展開が描かれることの責任は作者にあるのだろうか?

現実世界では,天災や不運や不幸など,だれに対して不快感や怒りをぶちまけたらいいのか分からないできごとが起こったとき,ごく一部しか責任がないはずの人を,スケープゴートとして過大な責任を負わせて吊るし上げるようなことがよくある (私だってそうしてしまうことがあっただろうし,また私自身にとばっちりが巡ってこないという保証はない).

フィクションの世界でも同じじゃないだろうか. こみあがってくる不満や怒りの矛先を誰にも向けられないことがあり,そうしたときのスケープゴートして作家本人が吊るし上げられてしまう. 実はそんなことが起こっていたりはしないだろうか.

…….

いや,そう言い切ることはできない. ネガコメ問題はそんな単純な図式にはなっていないだろう.

フィクション世界は,作り手のフィルターを介して提示される世界だ.それは寓話だとかはっきりしたテーマを持つ物語の場合に顕著だろうと思うけど,そうじゃなくても,どんなフィクション世界でも,そこには作り手の主観が入りこみ,フィルターがかかっているはずだ.

どんな人も,現実をそのまま理解し,受け取り,飲み込むということはない. その人自身のこれまでの歴史や,人生観や,倫理観のフィルターをかけて世界を見て,受け取れる部分を受け取れるかたちで受け取り,そうでない部分は受け取らない,という受け取り方をしているはずだ. それはたとえば他人を理解するときも同じで,他人の理解可能な部分を切り取って,理解可能な形で並べかえて整理して,そうしてはじめて他人を 「理解」しているはずだ. だから世界を見たり,人を理解したりする行為は,ある意味ではその対象をバラバラにして組み直しているわけで,暴力的な行為でもある. ……だからといって世界を見なかったり人を理解しなかったりするのは,もっと暴力的かもしれないけど.

フィクション世界を作家が紡ぎだすとき,意識無意識は問わず,そこには作家がどのようなフィルターで世界を見て,どのようなフィルターで人を見ているかが必然的に反映されているはずだろう. そのフィルターに対して受け手が反発したとき,その反発は必然的に (作中人物でなく) 作家に対するものになりはしないだろうか.

また逆に考えれば,そのフィルターに対して反発する人もいれば,共感する人だって出てくるだろう. そのフィルターが厚いものであればあるほど反発も共感も強くなりそうな気がする. だから,熱狂しながら受け取る人が出てくる物語には,どうしたって反発する人が同じくらい出てくるもので,それは避けることができないものなのかもしれない.

そう考えていくと実は,当初の考えとは違って, 「作家に対する反発」 は,私はあまり感じたことはなかったけど不自然でもなんでもないものなのかもしれない. 「作家に対する共感」 と表裏一体の形ではあるけれど.

いまのところ,物語への反発と共感の根っこはおそらくここにあるのだろう,というのが私の理解だ. これは一次創作,二次創作問わず,問題の共通した本質なのではないかと思っている. まあそれ以外にも派生する問題とか付随する問題とか,複雑なことがいろいろあるんだろうけど.

これを現実世界との比較で考えるなら,マスメディア批判なんかが近い図式で理解できそうだ. 現実のできごとをどういうフィルターで受け取り,どういうフィルターで切りとって伝えるか.

ただマスメディアに対する反発と共感は,現実にそれによって利益を得る人や不利益を被る人がいるから生じることだろう,と言うことができそうではある. 偏向報道によって不利益を得る人が反発し,利益を得る人が共感する,てな風に. だとすると,じゃあ物語に対する反発と共感はどうなのだろうか. 物語を読んで,利益を得る人が共感する? 不利益を被る人が反発する? そんなことはないだろう.

そんなことを考えていると,そもそもなぜ私は (というより物語をつくったり,受け取ったりして楽しむ多くの人は,物語をつくるとか,) 物語を読むなんてことをしたいのだろうか? という疑問が浮かんできてしまった. 物語に,キャラクターに共感したいから? ならばなぜ共感したいのか? 人生観や倫理観の一致を確かめたいのか? そうならば,なぜそんな確認作業をしたいと思うのか?

…….

この疑問については,どうみても私の思考能力をはるかに超えていて,なにかしら考えが浮かぶ気配すらない. ……ので,とりあえずアレコレ考えるのはここで打ち止めにしておこうかなあと思う.

というわけで,まあこの文章をここまで読む人がいるとも思えないけど,これはなにか訴えたいこととか,そういうものがあって書いた文章ではないっす. ただ自分がつれづれなるままに疑問に思ったことをそのまんま垂れ流しただけなのです. だからネガコメすんなとか,ネガコメべつにいいじゃんとか,そういう主張をしているわけではないので,そこんとこよろしくお願いしますです.

──────────

(追記) ちょっとだけ続いたんじゃ.

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by LIBlog | 2011-08-16 19:59 | 雑記 | Comments(2)

ぷよm@sの話をしようぜ

ぷよm@sをめぐる語りについて.

【アイドルマスター】ぷよm@s part1【ぷよぷよ】
ぷよm@s ‐ ニコニコ動画(原宿)


ぷよm@sを語る言葉は,ネットを探せば探しただけザクザクと見つかる.

ぷよm@sに関するブログ記事の多さはその一例といえるだろう. Vinegar56%さんが ぷよm@s関連のブログ記事をレビューされていたのは記憶に新しいが,ブログ記事へのリンクとコメントだけでも凄い文章量を必要としていたことが,その豊かさを証明している.

しかし,ぷよm@sを語る場はブログだけではない. ニコニコ大百科の掲示板やtwitter,さらには各種SNSやチャットなど,よりコミュニケーションに適した場でも,これまでにたくさんの ぷよm@s語りがされてきた.

私としては,できる限りそのような「語り」も追いかけたいと思ってはいる……のだけれど,全てをフォローするってのは無理な注文なんだよなあ.

とはいえ,そのような「語り」を個人的にローカルに溜め込んで死蔵しておくのはもったいないな,と最近になって思うようになった. きっかけはやっぱりVinegar56%さんの記事だったりするのだけど.

そこでとりあえず,twitter上で語られた ぷよm@s論だとか ぷよm@sに関する会話などのtogetterでのまとめを以下にリンクしてみたい.

Togetter - 「ぷよm@sにはまる夜」
海燕さんが ぷよm@sを紹介されて,その面白さにハマっていく様子を生々しくとらえた記録. お前は俺か(失礼!).
このような光景は今でもそこかしこに見ることができる. そのたびにニマニマしながら,うんうんそうだよねーわかるよその気持ち,と思うことになるわけだ.
またi_say999さんのコメントが鋭いんだこれが. なるほどねえ,確かにそうかもしれない.

Togetter - 「ぷよm@s感想(MOTさん&LIBさん)」
ブログまとめやデスタワー超進化の原動力のひとりMOTさんが律子さんというキャラクターについて非常に説得力のある解釈をつぶやいていらしたので,これ幸いと,それは面白いですね,と私が絡んでいって語りあわせていただいたもの. ことしの八月にいくつかtwitterに投下されたぷよm@s語りの一つの呼び水でもあった,と私は勝手に思っている.

Togetter - 「悪来(仮)さんによる,鱈Pの文章についてのツイート」
ぷよm@s愛に溢れる記事をたくさん書いていらっしゃる悪来(仮)さんによる,ぷよm@s作者介党鱈Pのテキストについて論じたツイート. 鱈Pの文章はとても読みやすく明快で素晴らしいが,悪来さんはさらにキャラクター表現までそこから読み取っている. さすがとしか言いようがない.

Togetter - 「2010年8月14日 ぷよm@sについて,@L_I_Bと@kazumaxさんと@kitchompさんとで語りあったよ」
八月のぷよm@sツイートをもうひとつ. こちらは私とカズマさんきっちょむさんとで,ぷよm@sの物語展開について語り合ったもの. 私にとってはtwitterで自分が好きな作品を語り合う楽しさを初めて知った瞬間だった,ような気がする. いやー楽しかったなー.

Togetter - 「烏蛇さんによる,ぷよm@sの構成に関するツイート」
これは比較的最近になってのもの. 烏蛇さんによる,ぷよm@sの構成に関する論. 鱈Pの動画説明文に対する視聴者の応答タグ「中だるみ詐欺」と,ておくれPのアイマスクエストに同様に見られる「息抜き詐欺」との比較から,ぷよm@sの構成について論じておられる. ぷよm@sの構成については,すっきりぽんPのこちら (→おなかすっきり、ぽんと出る 2009年上半期ノカデミー賞 応募) の記事のコメントが思い浮かぶけれど,こちらはさらに詳しく具体的に言及しておられ,なるほどなーと思わされる.

Togetter - 「スコーンさんによる ぷよm@s語り」
こちらもごく最近,スコーンさんによって投稿された,ものすごい量のぷよm@s語り. 内容はキャラクターからぷよ戦考察まで多岐に渡り,熱気をムンムンと感じる. ヘルファイアの考察では,その考察自体が逆フラグになることを願っておられるなど,愛ゆえのアンビバレントな気持ちを感じてしまう.

好きな作品を見るのは楽しい. その作品について論じるのもまた楽しい. そして,同じ作品を好きな方々とその作品について語り合うのは,もうこれ以上ないんじゃないかというくらいに至福のひと時だ. 私はここにリンクした方々のつぶやきを読んでいた時も,語り合った時も,ものすごく楽しかった.

だからぷよm@sファンの方,どんどんぷよm@sについて語りましょう! ブログでもtwitterでも! きっと楽しいですよ!

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by LIBlog | 2010-11-24 23:39 | 雑記 | Comments(0)

『「ぷよm@s論」論』論?

連載されている作品をリアルタイムで追いかけているとき,つぎつぎに更新される作品をどんどん体験し続けていると,その作品世界にどっぷり浸っている感覚になる. しかし実のところ,新作を体験していなくたって,そんな感じになることだってあるんだよね.

ここのところ何週間かは,まさにそんな感じで,ぷよm@s成分がたっぷりだった. ぷよm@sについての語りがつぎつぎとあちこちのブログ上で展開されていて,ぷよm@s語り史上(?)でも有数の熱い期間だったような気がする.

それらを受けていろいろと思うことも多いので,私としても何か反応したいと思う……んだけど,最近なんというか,まとまった文章を書く気力みたいなものがなくなってきているので,何かを論じるって感じではなく,いま思いついたことをそのまんまフラフラと垂れ流すって感じで書き連ねてみたい.

で,まずはなんといってもこちらのぷよm@s論シリーズでしょう!

すごろく妄想格納庫 (2が出る日まで)  偶像とダンスだ!

すごろく妄想格納庫 (2が出る日まで)  メモ:気になる記事リスト(偶像とダンスだ! 関連)1

すごろく妄想格納庫 (2が出る日まで)  メモ:気になる記事リスト(偶像とダンスだ! 関連)2

すごろく妄想格納庫 (2が出る日まで)  メモ:気になる記事リスト(偶像とダンスだ! 関連)3

すごろく妄想格納庫 (2が出る日まで)  メモ:気になる記事リスト(偶像とダンスだ! 関連)4

すごろく妄想格納庫 (2が出る日まで)  偶像とダンスだ! 補足というかなんというか


Vinegar56%さんによる,ぷよm@sの受け取られ方――とくにぷよm@sについて語っているブログ記事の焦点の当たり方の変遷――から逆にぷよm@sを論じるという凄まじいシリーズ. いやー凄かった. 連日のように更新されていたときは本当に毎日楽しみにしていたし,ずいぶん久しぶりに過去のブログ記事を読み返して,こちらもとても楽しかった.

んで,たぶん妄想するに,この一連のシリーズのきっかけになっているのはこちらの記事じゃないかなあ:

すごろく妄想格納庫 (2が出る日まで)  「敵」を出す難しさ、「敵」のリスク(1)

「物語を盛り上げたりしたいと思っても,とくに勝敗がはっきり決まってしまうような展開では,さまざまなファン層からなる視聴者をみんな納得させるのはなかなか難しいよね. じゃあどうしようか」みたいな,上のぷよm@s論シリーズ全体をつらぬくテーマみたいなものは,こちらの記事が発端になっているような気がする. さかのぼろうとすれば更にさかのぼれるのだろうけど,あまり深追いはしない.

MOTさんのすばらしい仕事 (Come sono bravo -wiki- - ぷよぷよ:ぷよm@s紹介ブログまとめ) もあって,ぷよm@sを語るブログに関しては,視聴者の「受け取り方」をほとんど漏らさず追いかけることができる. ならばその受け取られ方がどう変わってきたか? を語ることで,たしかにぷよm@sを語ることはできるはずだよね. そんな論じ方は私の実力ではとてもできないけど. あらためて思うけどVinegar56%さんはスゲーなー. そんな凄い論じ方をして,しかも読んでて面白かったからなあ.

ただちょっとひとこと言いたい. こちらとかで拙記事を紹介していただきコメントまで頂いているのは嬉しいのだけど,ちょっと過大評価じゃないだろうかw 「~を語る時代の到来」みたいな感じではなくて,むしろ個々のブロガーの方々が独立に,おのおのの視点から語りをしておられたような印象がある. それはゆるやかに影響を与え合っていたかもしれないけどね.

とはいえ,私は他のブログに影響を受けまくっているんだけど. 今回ブログ過去記事を読み直していて,改めてそれがよくわかった. というか,それこそ美希と千早を「主語」にしていては見えてこない物語などなどを,ブログでの豊かな語りに教わっていたんだけど.

最近でもその傾向はぜんぜん変わらなくて,たとえばりっちゃんを巡って,他の方々にものすごい影響を受けまくっているんだよね.

この記事 (物語の「主語」が変われば,物語の世界も変わる.……かも.) は,悪来(仮)さんのこちらの記事 (「震天動地」(ぷよm@s Part19感想)) などなどから教わった視点だし.

さらにそれはMOTさんの視点 (ぷよm@s感想(MOTさん&LIBさん) ぷよm@s感想:「律子」) を受けて,こんな感じで変わるし (ぷよm@sの律子にまつわる話をしたよ).

さらにぶら樽さんの記事 (大戦面白いです) を読んで,こんな感じに変わるし (相手を叩きのめす快感に身をゆだねるのは,そんなにいけないことか? ということ.).

節操がないこと,この上ない.

でもやっぱり,自分では気づけないことを教わりたいし,思ってもみなかった視点を得て,ぷよm@sをさらに楽しみたいとも思う.

そんなわけで,ぷよm@sについての語りも,どんどん盛り上がってくれたら嬉しいなあ.

…….

カズマさんの記事とかdamehumanoidさんの記事とかも滅茶苦茶おもしろかったので,この文章の中で触れたかったんだけど,もはや力尽きたので筆を置くです……. だめだーやっぱり文章を書く体力がなくなってるー. もっと言いたいことがあったはずなのにー.

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by LIBlog | 2010-11-19 22:56 | 雑記 | Comments(2)

エキサイトブログの過去記事にまとめてリツイートボタンとはてブ数表示を設置する

遅ればせながら,エキサイトブログにもtwitterのリツイートボタンとはてブ数表示を貼り付けられるようになっていることに気がついたので,さっそく付けてみた.

また,これはずいぶん前からだと思うが,ブログパーツとしてtwitterのつぶやきを貼り付けることができるようなので,これも付けてみた.

これらの変更は,設定 → 画面左のtwitter設定,と進むことで設定できる.

ところで,ブログの過去記事すべてにリツイートボタンとはてブ数表示をしたいときにはどうしたらいいのだろうか. いちいち編集からチェックボタンをひとつひとつおしていかなければいけないのか. それは面倒だからやりたくない. ……そう思って,エキサイトブログの中の人 (@Excite_blog) にtwitterでリクエストを出してみた. 過去記事にまとめてリツイートボタンとはてブ数表示を付けられるようにしてくれませんか? と.

すると以下のようなご返答をいただいた: 

過去記事にまとめて「リツイートボタン」を設置するには、設定>記事管理>( 共有ツール ) から100記事単位で可能です。

なんと,私が知らなかっただけで意外と簡単にできるようだ. 当ブログは410記事ほどあるのだが,大した手間もかからず設置できてしまった. エキサイトブログの中の方,お教えいただきありがとうございます.

てなわけで,私は問題を解決できたけれど,もしかしたら私以外にもやり方が分からなくて迷っている方がいらっしゃるかもしれないので,ここにメモしておきます.

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by LIBlog | 2010-09-06 20:31 | 雑記 | Comments(0)