カテゴリ:ねっとさーふぃん( 26 )

2011年2ちゃんVIP SS お気に入り作品

へえ,これはいいまとめだ.

今年の面白かった「SS」教えて|エレファント速報:SSまとめブログ

2ちゃんVIPのSSで今年の良作を紹介しているわけですな.

ここに載っているSSの中で私が好きなのはここらへん:

勇者「冒険の書が完結しない」|エレファント速報:SSまとめブログ

勇者「女魔王との結婚生活」|エレファント速報:SSまとめブログ

……あれ? これだけかなぁ私の趣味に合ったのは.

ならば,ここには挙がっていないもので今年のお気に入りSS作品をいくつか:

女妖怪「わ、私を呼び出した代償が“童貞”だと・・・!?」 : SS宝庫~みんなの暇つぶし~
 長編. 意外なほど大きく盛り上がる物語.

男「ゴホッゴホッ」 淫魔「あら、風邪?」|エレファント速報:SSまとめブログ
 短編. ほのぼの日常系. なにが起こるわけでもないけどこの空気感,好きだ.

幼馴染「私たちってさ : SSちゃんねる
 短編. ラブがコメるだけ……だがそれがいいのだ. 文句あっか.

魔王「今日も平和だ飯がうまい」|エレファント速報:SSまとめブログ
 数シリーズにまたがる長編. オチは賛否両論あるかもしれないけど私は嫌いじゃないな.

魔王「失脚してしまった・・・今後の生活どうしよう・・・」|エレファント速報:SSまとめブログ
 長編. ひねっているように見えるけれど実はストレートに燃える&萌える展開でたいへんけっこうでございます.

女「右足を出します」 男「うむ」|エレファント速報:SSまとめブログ
 短編. 基本だらだら会話で,でも物語中でなにかがちょっと進んだかな,っていうこの感じ,好きだな.

だいたいこんなところだろうか.

私はSSまとめブログに載っているものを眺める程度のライトファンなのだが,この形式の小説は好きなので今後も追いかけていきたいなーと思ってる. いつまでもこの文化が続くといいなあ.

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by LIBlog | 2011-11-26 18:43 | ねっとさーふぃん

他者の内面は観察可能か,という話

海江田さんの話はとくに興味がないけれど,これは面白い文章だった. さすが内田センセイ.

感情表現について (内田樹の研究室)

文章の最後のほうで,

今、私たちの社会では、「過度に感情的であることの利得」にあまりに多くの人々が嗜癖し始めている。
それは私たちの社会が、「大人のいない社会」になりつつあるということを意味している。
そのことのリスクをアナウンスする人があまりに少ないので、ここに大書しておくのである。
と書かれている割に,そのリスクとは何なのか具体的には一切書かれていないのがちょっと不満だけどw まあそれは各自考えろ,ということなのだろう.

…….

で,感情をあらわにすることの政治的な利点の話と,大人がいなくなってきた話ってのには興味をひかれなかったんだけど,一方でとても面白いと思ったのが,感情ってのは発達に伴ってどのように獲得されるのか,という話.

感情は自分の内面に根拠をもっていると私たちは思いがちだが、ほんとうはそうではない。
脳科学が教えるところによれば、私たちは感情を外部にあるものの模倣を通じて学習するのである。
(中略)
例えば、「怒り」という感情は、怒っている人間の表情や声の出し方や身ぶりを模倣することによって内面化し、学習される。
子どもの内面に感情がまずあって、それが身体表現に外化するのではない。
他人の身体表現を模倣し、それが伴う情動が内面化した結果、感情が生まれるのである。

一読してすぐ,そんなわけないだろ! と突っ込みたくなった. そもそも快不快をふくむ原初的な感情は新生児でも持っているはずだ,不快感がなければミルクも飲まないだろうし,汚れたオムツに泣き叫んで親を呼んだりしないはずだろう.

がしかし,たぶん内田センセイは,乳児には一切感情がない,などというラディカルな主張をされているわけではないだろう. そのあとで,「怒り,叫ぶ」ことが原初的な感情であると仰っているからだ. 要するに幼児は最初から複雑な感情というものを内面に抱えているわけではなく,最初はきわめて原初的で単純な内面=感情しか持っていないのであり,のちに外面=身体表現の獲得にともなって徐々に内面=感情も分節化し複雑になっていくのだ,と主張されているのだろう.

それはそれで納得したのだが,ここでもう一つ疑問が浮かんだ. この文章では,

『幼児は複雑な内面=感情を持っているが,それを表現する外面=身体表現を持っていない(ゆえに単純に見える). 発達にともなって,複雑な内面に対応するような複雑な身体表現を,徐々に模倣により学んでいく.』

という仮説(?)が否定され,かわりに,

『幼児は単純な外面=身体表現と同様,単純な内面=感情しか持っていない. 複雑な身体表現を模倣により学ぶのと同時に,感情も付随して複雑化していく.』

という仮説が提唱あるいは支持されているのだと思う.

だがしかし,このふたつの仮説をどのように検証したらいいのだろうか? 前者と後者は,どのようにしたら区別可能なのだろうか?

そもそもわれわれが観察し,他者から読み取ることが可能なのは外面=身体表現だけなのではないだろうか? 他人が怒っている,あるいは楽しんでいる,あるいは悲しんでいる,ということは,その外面にうかぶ表現からしか読みとれないのではないか? その内面が単純なのか複雑なのかは,自分以外の者については知り得ないのではないだろうか.

身体表現に現れない内面=感情を,測定する手段は存在するのだろうか. 脳波? fMRI? 勉強不足で私にはぜんぜん分からない. しかし前掲の文章中でははっきりと,

感情は他人の外形を模倣することで発生するわけであるから、外形抜きの「純粋感情」などというものは存在しない。
と言い切っているのだから,おそらく内面を観測する手段はあるのだろう.

…….

てなわけで, mirror neuron review というキーワードでPubMedを検索してみた. うーむ,面白げなレビューがいっぱい出てくるなあ.

幸運にも私は少なくともいくつかは手に入る状況にある. 読んでみよう. ……時間ができたら.

とか言ってるうちは,ぜったい読まないんだろうなあ. あはははは.

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by LIBlog | 2011-08-12 20:25 | ねっとさーふぃん

大人の視点,子供の視点,その非対称性

愛読(?)している基本読書ニュースさんの7/23付の雑記が,たいへんに印象的な内容だった.
中学生ぐらいの頃、大人はすぐ「ここまであっという間だった」というが、そんな大人には絶対になりたくないと中二心に思っていた。なぜならそれは「いろいろあった」ことをどんどん忘れて印象的な物事を数点覚えているだけで、そのせいで「あっという間だった」と感じるだけだと思ったからだ。本当はあっという間なんかじゃないのに忘れているだけなのだ、それなのにあっという間だったという言葉でいろいろあったことを全部なかったことにしてしまうのは自分の周りでいろいろあったことに対してあんまりにも失礼じゃないか、と思った。今でも思っている。

しかし一般的に大人と言われる年齢になってみるとたしかに結構あっという間だと思ってしまう。割と毎日が早いし気がつくと一カ月終わってしまう。あれれえ。

2011-07-23 - 基本読書ニュース

私は 「あっという間だった」 と語る大人になりたくないと思ったことはなかったけれど,大人に対して (おそらく) これに近い感覚をもったことはある. 子供に共感する大人の,その共感への違和感,というかそんな感じの感覚. このへんの文章でも書いたことだけど.

なぜその感覚が,冒頭の基本読書ニュースのhuyukiitoichi4さんが仰っている感覚と共通しているように感じられるかというと,

まず,大人の視点から見た子供というものが,実際の子供視点とはズレているということ,

そしてさらに,その大人 (の視点) は,実際の子供視点とのズレを感じ取っていないということ,

そのふたつが子供時代の私を苛立たせていたのだと思うし,おそらくは中二の頃の(?)huyukiitoichi4さんの苛立ちも,それと同根だと推察するからだ.

…….

重要なのは,大人は子供の視点を決して理解することができないということだけではないと,最近では思うようになった. もちろん,そのことも重要だ. 大人は子供のことを決して理解しないだろう. 同様に,子供は大人の視点を決して理解することができない. しかし問題はそれだけではない. 重要なのは,大人と子供では決定的に非対称なものがあるということ. 大人は子供時代を経験している. だから大人は,子供のことを理解できると思っている. 少なくとも自分自身の子供時代だけは. 本当は,そんなことはないのに.

「あっという間だった」 と子供時代を片づけてしまう大人は,体感時間の短縮とか慣れとか,そういったことが原因で,自分の子供時代を短縮できてしまえるのだろう. それはたしかにそのとおりだと思う. だが私にとっての問題の本質は,彼ら彼女ら (そして私自身も!) が,大人である今の視点から子供時代を理解していて,しかも自分がそうしているということを自覚できないところにある. それが,私が 「大人と子供の非対称性」 と呼ぶところのものだ. この非対称性こそが重要な点なのだと思う.


本当はあっという間なんかじゃないのに忘れているだけなのだ、それなのにあっという間だったという言葉でいろいろあったことを全部なかったことにしてしまうのは自分の周りでいろいろあったことに対してあんまりにも失礼じゃないか、と思った。今でも思っている。

2011-07-23 - 基本読書ニュース

その非対称性が,大人の 「失礼さ」,無礼さ,傍若無人さの根本にあると思う. もちろん私自身もそのように無礼で傍若無人で暴力的な大人のひとりだ. だがそうなりたくないからといって,今から子供の視点に立とうと思っても,どうしたってそれは大人から見た子供の視点になるよりほかはない. 子供の視点はもはや二度と手に入らない.

ただ,子供の視点を手に入れたいと切望しているわけでもないのだけど,ね. そうではないけれど,いま子供時代を振り返ってあれこれ思い出すできごとの数々は,「大人の視点」 から見て理解しているものにすぎない,ということは自覚したいと思っている. それは自分の子供時代を忘れ,なかったことにするどころか上書きしてしまうような 「失礼」 を冒したくはないからだ. 得られないものを得たと思いこんでごまかすよりは,もう二度と得ることはできないと寂しく見つめるほうが,まだマシではあるだろう.

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by LIBlog | 2011-07-31 17:23 | ねっとさーふぃん

子供の今は永遠で,大人は過去を消していく

子供の頃。今は永遠だと思っていた。:ぁゃιぃ(*゚ー゚)NEWS 2nd

子供の頃。今は永遠だと思っていた。
明日も明後日もずっとこうして続いていくような気がしていた。
大人になるってことは自分とは無関係だと思ってた。
大人っていう生き物は自分たちとは別の生き物だと思ってた。

うん,「大人になるってことは自分とは無関係」 だし, 「大人っていう生き物は自分たちとは別の生き物」 だと,私は思う.

そのあとに続く思い出の数々を,私も同じように思い出す. それは楽しかったり,辛かったりして,そしてそうやって思い起こしていると寂しく切ない思いにとらわれる.

だがしかし,それは 「もう二度と戻れない」 からなのかというと,私個人の感覚では,それはちょっと違う気がする. そうではなくてむしろ,自分の子供時代をつぎつぎと消していく寂しさ,みたいなものの方が強いんだよね.

「黒歴史」とかいう言葉があるが,あのころのあれやこれやの行動のうしろにあった理由は,いま思い起こせば訳の分からない,どうでもいいようなものへのこだわりだった. 仲間や大人たちの注意をひきたがったり,自意識過剰でとっぴょうしもないようなことをしてみたり,くだらないことでケンカしたり. で,大人たちはってーと,いっつも無神経でおせっかいで,わかっちゃくれなかったもんだ.

でも,分かってくれる人はいた. 自意識やら何やらをおもんぱかって,生温かい目で見て. いつも無神経で,でもときには自分達につきあってくれたり,ね.

だけど,無神経さやおせっかいや……よりも,その「分かってくれてつきあってくれてる」ことのほうが,自分をいらつかせることが多かった気がする. ありがたいと思いつつ,分かってくれることを嬉しく思いつつ,どうしようもなく苛立って仕方なかった.

たぶん彼ら彼女らは,「ほんとの心情は分からないけど,自分がかつてそうだったことを思い出してみたら分かる」 から,いかにも分かってくれてるような言動ができたのだと思う. そしてそのことの胡散臭さが苛立ちの原因だったんじゃないかな. だって彼ら彼女らは,いかにも分かってるように見せているけど,本当はぜんぜん別の安全地帯みたいなとこから眺めてるようなもんだからねえ. ぼくらが抱えているような (主観的には) とてつもなく深刻な問題を,抱えたりしてはいないんだ.

でも今はもう,自分はそんな自意識過剰さははるか昔にどっかに置いてきてしまい――といっても今は今の自意識過剰さがあるのだと思うが――,ふつうの大人がそうであるような,せいぜい 「かつてそうだったことを思い出す」 程度の,無神経な人間になった. その現在から,いくら子供のころを思い起こしてみても,あのころの心情は「いまの無神経な視点からみた自意識過剰で幼い心情」として思い起こすしかない. それはかつての自分が苛立ったような大人そのものだ.

子供は大人にはならない. なにか 「別の生き物」 になるのだと思う. しかし記憶は残る. その記憶は,かつていたはずの子供をその場から押し出し,上書きして塗りつぶす.

だから本当は,その思い出や郷愁は,私自身の子供時代とは無関係なんだと言い切ってしまいたい. かつての子供の自分を,失いたくないから.

だが,そんなことは不可能だろう. 思い出は,かつての自分そのものとして思い出されるほかはないじゃないか. それ以外にどう思い出したらいいってんだ.

だから,今の自分が生きているということは,同時に過去の自分をつねに塗りつぶしていくということなのだろう. 楽しかった,辛かった,面白かった,苦しかった数々の思い出は,そのときそのときの自分を失わせていくものなのだろう. そのこと自体に寂寞を覚えるのは,なんだかだいぶひねくれているようにも思うけれど,しかし偽らざる自分の本音なんだよねえ.

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by LIBlog | 2011-06-29 19:54 | ねっとさーふぃん

星里もちる作品について

二か月近く放置気味なので,軽く文章を書くリハビリ的なエントリを,ほかのブログさんに乗っかって書き散らしてみる.
星里もちるの漫画を読もう! - Something Orange

星里もちる先生いいですよね! 「夢かもしんない」以降ちょっと遠ざかっていたけど,また追いかけてみようかな.

私の場合,「りびんぐゲーム」が星里もちるとの出会いだった. いずみちゃん可愛かったなあ. そこから過去作を辿って,最新作を追いかけて,という感じで「危険がウォーキング」「結婚しようよ」「夢かもしんない」と,名作の数々を夢中で読んだ.

中でもとくに印象深いのが「いきばた主夫ランブル」「わずかいっちょまえ」の二作. 後者は先のブログエントリでも紹介されてるね.

「いきばた」の方は,男性の生き方として “主夫” もアリなのだということを考えてもみなかった自分にとって目からウロコの作品だった. そして「わずか」は思春期に揺れ動く女の子のあやうさと,それから初期の「らいか・デイズ」あたりにもつながる,優秀さ,聡明さゆえに感じてしまう距離感や寂しさなんかが やたらと胸にくるものがあって大好きだった.

……ただ最近の作品は絵柄がなあ. 90年代の星里作品での女の子の絵がすごく可愛くて,それも大好きだったんだけど,最近の絵は,なんというか固さ? みたいなものを感じてなかなか入り込めないんだけどね. ……食わず嫌いせずに読んでみようかなあ. あ,「ルナハイツ」の主人公はちょっとガンコすぎて あんま好きじゃないんだよなあ……うーん.

…….

リハビリ気味とはいえ,なんという一貫性のない文章であることか.

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by LIBlog | 2011-04-11 21:16 | ねっとさーふぃん

物語の「主語」が変われば,物語の世界も変わる.……かも.

ぷよm@s part19の反応を受けて思ったこと.

いつも ぷよm@sの新作を見たあとはネットで感想を読むのだが,今回はことのほか,同じ物語のべつの受け取り方について印象に残った.

以下,格納します.

More

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by LIBlog | 2010-06-16 13:03 | ねっとさーふぃん

ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の体験談を読む

最近はてなブックマークで話題の以下のサイト,個人的にとても印象に残った.
戦争の体験談を語るわ その1 無題のドキュメント

戦争の体験談を語るわ その2 無題のドキュメント

戦争の体験談を語るわ 完結 無題のドキュメント


90年代のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争 (→>ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争 - Wikipedia) を小学生で経験し,凄惨な民族浄化の現場から奇跡のような幸運で生還された方の手記.

戦争や民族浄化やジェノサイドなんかについては,事実として何があったかということは本や教科書や,あるいは上のWikipediaの記事を見れば知ることはできる. それが本当に事実だったかどうかは置くとして.
あるいはまた,ドキュメンタリーやノンフィクションなどでよく見るのは,民間人や非戦闘員が虐殺されていく様子だ.

これらはたしかに重要な情報だと思う. イデオローグたちがどういう主義思想に基づいて行動したのか,その結果何が起こり,民間人がどれだけ悲惨な目にあったのか. こうしたことを知るのは,戦争や虐殺を理解して,それを避けていこうとするとき必須の知識だろう.

しかし内戦の当事者,よく 「セルビア人勢力」 とか 「クロアチア人勢力」 だとか言われる民兵がどのような心理状態で戦いに臨み,民間人を殺戮していたのか,我々はふだんあまり知る機会がないのではないだろうか. 恥ずかしながら私は上の文章を読むまで知らなかった.

この文章の筆者である 「祐希」 氏は,基本的には民間人,非戦闘員として内戦を体験しているのだが,なんとセルビア人,ムスリム系の両勢力と交流していく形でそこに関わっている. そこから得られる証言はとても貴重だ.


163 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[sage] :2010/05/21(金) 01:50:47.39 ID:jFTn8Qg0
スルツキの連中がそこまで過激な手段を取った背景は何なんだろうな
いつも疑問だったわ

173 名前:祐希 ◆.0dKn/WD26[sage] 投稿日:2010/05/21(金) 01:53:53.18 ID:c1y0p92o
»163
それはさ。禍根が次世代に引き継がれるからなんだ。
殺さなければ、殺される。今までの歴史がそれを証明してきた。
じゃあ、子どもは?

子どもはさ、次世代の敵になるんだ。だから、[ピーーー]しかない。
そういう考えなんだ。多分、平和の中で暮らしていたら一生共感出来ない
考えだと思う。俺も理解は出来るけど、共感は出来ない。

スルツキだけでなく、フルヴァツキもボシュニャチも同じ考えだよ。
そして、その考えの元で行動した。

190 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[sage] :2010/05/21(金) 02:00:01.20 ID:jFTn8Qg0
»173
そうか やらなきゃいつかやられる状況だったのか
当事者にしかわからない事なんだろうけど、一度タガが外れると想像も出来ない事が起こるんだな

193 :祐希 ◆.0dKn/WD26[sage] :2010/05/21(金) 02:04:37.14 ID:c1y0p92o
»190
タガは外れてないんだ。皆罪悪感はあるんだよ。でもその罪悪感をも超越する程の、
他民族への恐れ、怒りや憎しみがあったんだ。
だから、自分達の民族のためと
自分に言い聞かせながら殺したりしたんだ。中には本気で楽しんでいた人もいたかもしれないけど
スルツキの人たちだけが野蛮で殺戮をしまくっていたってわけじゃないんだ。

現に、それに反対するスルツキもいたんだよ。でも、民族の敵といって、
そういったスルツキの人も殺害の対象になってしまったんだ。
戦場の中は、皆普通の心理状態じゃないんだ。もしかしたら、
他の民族に同情した同胞が、自分達に銃を向けてくるかもしれない。
それほど疑心暗鬼に陥る状態だったんだ。
今までの歴史とか宗教とかが絡み合って、想像できない状態になってたんだ。

※[ピーーー] は「殺す」. 太字強調は引用者による.

「罪悪感をも超越する程の、他民族への恐れ、怒りや憎しみがあった」 ために起こること,そしてそれがまた次の 「恐れ、怒りや憎しみ」 を生んでいくこと. これはただ事実だけ淡々と書かれても,あるいは悲惨さそのものだけを伝えられても,私にはうまく理解することができなかったと思う. 住んでいる世界が違いすぎて,そんな心理状態を想像することが難しいからだ.

それに対して,この体験記は少しばかり長いが,まるで自分が当時のボスニア・ヘルツェゴビナの中にいるかのような臨場感で読むことができ,しかも普段なかなか知ることが難しい立場の者たちの思想や肉声を知ることができる. なんというか,こういう言い方はよくないかもしれないが, 「興味深い」 読み物だった. はじめて大虐殺などということが起こる (心理的) 必然性みたいなものが納得できた,ような気がする.

……これ,本になったり映画化したりしないかなあ. なんというか, 「もっと広く知られるべき」 とか偉そうなことを言うつもりはないけれど, 「もっと広く知られること」 は,筆者の方にとってせめてもの救いになるような気がする. ……などと言っても偉そうだろうか.

追記:

後日談によると,書き込んだのは体験された当人ではないとのことです.

戦争の体験談を語るわ 後日談 無題のドキュメント

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by LIBlog | 2010-06-13 19:47 | ねっとさーふぃん

橙乃ままれさんのSSを読む

ここのところずっと,橙乃ままれ(ママレードサンド)さんの「まおゆう」以外のSSを読んでいた. 聞くところによるとログ・ホライズンが面白いようなのだが,それは後の楽しみに取っておいて,まずは「まおゆう」のように掲示板に投稿されていた会話形式で進む作品から.

ままれさんの作品は,ニコニコ大百科の橙乃ままれさんの項 (→橙乃ままれとは (ダイダイノママレとは) - ニコニコ大百科) から辿れる. スレッドが立った時系列順に並べると以下のようになる……はず:

隙間ジャンル「大作戦姉」

兄「ハンバーグだよ! ハンバーグっ!」

末姫「……ひもじぃです」

侵入女「え、えへへ。始めまして。ストーカーです」

先輩「もう帰ってもいいですよ」

式子内親王「寒い~。絶対布団から出ないからねっ」

女僧侶「うう。勇気を出してスレを立ててみます」

嫁「おかえり~。おとくん。ご飯できてるよっ」

同僚女「おーい、おとこ。起きろ、起きろー」

猟奇妹「兄さん。兄さん。ドアを開けてください」

秘書妹「兄さん。今晩の予定についてですが」

新ジャンル「完璧な許婚」

魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」

黒髪娘「そんなにじろじろ見るものではないぞ」


とりあえず大百科から辿れる これらの作品は読み終わった. あと,ログホライズンのように普通の小説形式で書かれた,私の棲む部屋という作品もあるようだ. これもこれから読んでみたい.

掲示板に投下されたままれさんの作品は以上のようにたくさんあるのだけど (他にもあるのだろうか?),きちんと完結しているものは,兄,先輩,式子内親王,女僧侶,同僚女,許婚,黒髪娘で,全体の半分くらいだろうか. 意外と未完結な作品が多いことに気がつく. 見落としがあるかもしれないけど.

しかしこれ,じつは単に作者が未完のまま投げ出しただけ,というわけではないようなのだ. どうもスレッド内でのやりとりなんかを見るに,掲示板での連載という形式は思っていたよりもずっと厳しいらしい. 支援や応援だけでなく歯に衣着せない突っ込みや,時には罵倒が浴びせられることもあり,人気が出ずに保守されなければ容赦なくスレッドが落ちる. なるほどこういう環境で,「まおゆう」や黒髪娘に見られるような,あの鼻血が出そうなほどかわいい女の子の描写が鍛え上げられていったんだなあ.

上のSS作品は未完結作も含めて どれもそれぞれに面白く,つまらないと思った作品はなかった. 中でも特に個人的に気に入っているのが,同僚女女僧侶の二本だ.

この二作品は,「まおゆう」のように社会とか世界とかが大きく変わっていくようなダイナミックな物語ではないのだが,そのかわり人が変わっていくさまがじっくりと描かれている作品で,私はすごく好み. 逆に言えば,「まおゆう」では急ぎ足で描かれることが多かった「人が変わっていく様子」を,これらの作品では一歩一歩じっくり見ることができるので,私としては感情移入しやすくてよかった.

また女僧侶シリーズは,舞台がドラゴンクエスト世界で,その中に「外の世界の知識」を持つものが登場したりと,「まおゆう」の原型がそこかしこに見られておもしろいのだが,単品で読んでも非常に楽しめる名作だ. 同僚女シリーズと並んで少し長めの作品なのだが,読んでみて損はないと思う.

この作品,最初は「電車男」のように,よわっちい女僧侶がスレッドのみんなの力を借りてすこしずつ頑張って冒険を進めていく,みたいな話として始まるのだけど,やがて突出した力を持つ「選ばれしもの」の孤独と苦しみや,それに追いつこうとする者たちのドラマが描かれるようになり,非常に胸に迫る物語になっていく.

中でも以下のくだりは印象的だった.

「勇者さんは格好いいですよねっ」

「だって世界を救うんですよ♪」

「それって、きっと、世界中の人の
『ここに居ていいんだよ』を守るって事ですよね。
帰るべき灯りも、暖かい布団も、美味しいご飯も」

「でも、勇者さんの『ここに居ていいんだよ』って
いう場所はどうするんでしょうね?」

「会って聞いてみたいんです。勇者さんの
『ここに居ていいんだよ』ってどうしてますか?
って。わたしは勇者じゃないけれど、そこだけ。
その一箇所だけなら、守れるかもしれないから」

このテーマは個人的には女僧侶シリーズ全体の核心になっていると思うが,じつはそれをもうひとつ先に進めたところに「まおゆう」がいるのではないかと思う. いや,もうひとつ先というより,もうひとつ広げたもの,と言ったほうがいいかな. 「女僧侶」では勇者本人や勇者パーティーの中だけですべての問題が消化されていたのが,「まおゆう」ではその外に広がっていく感じ.

そんなわけで,この作品,ただおもしろいだけでなく,ああそうかこれが「まおゆう」が書かれる下地になっているんだなー,などという楽しみかたができる作品になっていると思う.

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by LIBlog | 2010-06-01 23:14 | ねっとさーふぃん

「まおゆう」,おもしろかったー

話題のネット小説「まおゆう」,読み終わった. いやー,本当にすばらしい時間を過ごせた. 大長編なので,ご用とお急ぎの方には厳しいかなーとも思うけれど,ちょっとずつでもお読みいただくことをおすすめしたい. 少なくとも私はこれほど楽しめた小説はひさしぶりだった. というか小説を読んでマジ泣きしたのっていつ以来だろう?

「まおゆう」は掲示板上で連載されていたネット小説で,まとめサイトにて全文無料で読める. 以下のサイトと,その他にもあるのかな?


【SS宝庫】みんなの暇つぶし(ノ^^)八(^^ )ノ:魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」【パート1】

魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」目次

魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」 - ゴールデンタイムズ


最初のサイトは私が読んだところで,細かく区切られていて読みやすかった. しかし「まおゆう」以外の作品もまとめられており,リンクを辿るのに少し手間取るかもしれない.
ふたつめは「まおゆう」専用のまとめサイトの目次. 私は黒背景がなじめなかったので利用しなかったけれど,一番わかりやすくまとまっているかな?
最後のものはスレッド内での読者の反応も含めてまとめられているので臨場感がある. 今から,という方はこちらがおすすめかな.

あと書籍化されるようなので,発行を待つという手もある (→Togetter - まとめ「桝田省治氏による『魔王勇者』書籍化プロジェクト進行中」). この小説はちょっと独特の読みづらさがあるけれど,たぶん書籍版では読みやすくなっているはず.

さて,「まおゆう」は,いわゆる中世ファンタジー世界,特にドラゴンクエスト (その中でも特にロトシリーズ) の分岐モノ,といった感じの物語.
小説タイトルは物語冒頭のシーンで,ドラゴンクエストの最終決戦直前を髣髴とさせるやりとりだ. この物語は,そこから分岐していくことになる.

どこへ分岐していくのか? 「ドラクエ世界の外側」へ,というのが答えだろうか. 作品中では「あの丘の向こう」といった表現がされている. 分岐した先では,ちょっと間違えれば世界が破滅するかもしれない状況になるわけだが,それをうまく避けて,彼ら彼女らは「あの丘の向こう」にたどり着けるのだろうか? というのが「まおゆう」で描かれる物語. これがまた,ちょっととてつもなく壮大で面白くて泣けて,すごい話だった.

というわけで,まあ紹介については「まおゆう」で検索したりすれば山ほどブログ記事が書かれていることだし,以上で終わりにしたい.
以下は私の感想. 「私が面白いと思ったところ」を書く. ほとんど他のブログ記事と被ってるような気がするけれど,気にしないことにしよう.

大きなネタバレは避けるつもりだけど,内容については少しばらしているので,格納.

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by LIBlog | 2010-05-24 00:11 | ねっとさーふぃん

254日目 にゅーす

宗教についての このニュース,ちょっと興味をひくものだった:

Morality research sheds light on the origins of religion | Eureka! Science News

宗教,すなわち神秘体験(spiritual experiences)や宗教的行動というものは,つきつめればヒトの脳に生じるなんらかの現象に基づくものだといえる.以下,便宜上これを「宗教脳」と呼ぶことにする(笑).さて,進化の過程で,なぜ,どのように,ヒトに「宗教脳」が生じたのだろうか?

ある説では,「宗教脳」は,「各個人が協調する」という困難な課題を解決するための適応として生じたものだと説明される.
また別の説では,「宗教脳」は,ヒトがもつ認知能力に伴って生じてしまう副産物(by-product)だと説明される.

さて,ハーバード大学の心理学者らと進化人類学者らのグループは,二つの説のどちらが正しいか確かめるために,「善悪の判断」を基準にした実験心理学的解析を行った.実験に関して詳細はよく分からないけれど,宗教的バックグラウンドがちがう人同士でも,また無宗教の人も,「一般的ではない (なじみの薄い) 状況における善悪の判断」に差がないことを見出している.つまり,経験的教育的ではない,直観的な善悪の判断においては,特定の宗教を信仰しているかどうかは影響がない,といえる.
したがって「宗教脳」は協調のための適応進化として獲得されたのではなく,ヒトが認知能力を発達させた副産物として獲得されたものだろう,と彼らは語る.

えー? ほんと?
これ,無宗教者が多い文化に暮らす我々にとってはツッコミどころだらけに見えないか? 上記の実験結果で適応ではなく副産物だと結論しているけど,協調のためではないが適応進化だ,とは考えられないだろうか.たとえば,「宗教脳の個体 (文化圏,でもいい) は無宗教脳の個体 (文化圏) を攻め滅ぼす傾向がある」という仮説を立てたらどうだろう.これならば「宗教脳」が獲得された理由は「協調ではない適応」により説明できるのではないか.
そのほかにもいろいろと疑問に思うところは多い.

が,しかし元論文にはこういうツッコミどころは無いだろう.これ,たぶん宗教が広く信仰されている文化圏に報道されることを前提として論文を抜き出しているから,我々には妙な感じに見えるだけだと思う.
それは結語でもわかる.直観的な善悪の判断に,宗教は必ずしも必要ない.それを多くの人は忘れがちなので注意せよ,とメッセージを送っているんだが,むしろ我々は,この結論を当たり前だと感じるだろう.

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by LIBlog | 2010-02-09 20:38 | ねっとさーふぃん