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子供の今は永遠で,大人は過去を消していく

子供の頃。今は永遠だと思っていた。:ぁゃιぃ(*゚ー゚)NEWS 2nd

子供の頃。今は永遠だと思っていた。
明日も明後日もずっとこうして続いていくような気がしていた。
大人になるってことは自分とは無関係だと思ってた。
大人っていう生き物は自分たちとは別の生き物だと思ってた。

うん,「大人になるってことは自分とは無関係」 だし, 「大人っていう生き物は自分たちとは別の生き物」 だと,私は思う.

そのあとに続く思い出の数々を,私も同じように思い出す. それは楽しかったり,辛かったりして,そしてそうやって思い起こしていると寂しく切ない思いにとらわれる.

だがしかし,それは 「もう二度と戻れない」 からなのかというと,私個人の感覚では,それはちょっと違う気がする. そうではなくてむしろ,自分の子供時代をつぎつぎと消していく寂しさ,みたいなものの方が強いんだよね.

「黒歴史」とかいう言葉があるが,あのころのあれやこれやの行動のうしろにあった理由は,いま思い起こせば訳の分からない,どうでもいいようなものへのこだわりだった. 仲間や大人たちの注意をひきたがったり,自意識過剰でとっぴょうしもないようなことをしてみたり,くだらないことでケンカしたり. で,大人たちはってーと,いっつも無神経でおせっかいで,わかっちゃくれなかったもんだ.

でも,分かってくれる人はいた. 自意識やら何やらをおもんぱかって,生温かい目で見て. いつも無神経で,でもときには自分達につきあってくれたり,ね.

だけど,無神経さやおせっかいや……よりも,その「分かってくれてつきあってくれてる」ことのほうが,自分をいらつかせることが多かった気がする. ありがたいと思いつつ,分かってくれることを嬉しく思いつつ,どうしようもなく苛立って仕方なかった.

たぶん彼ら彼女らは,「ほんとの心情は分からないけど,自分がかつてそうだったことを思い出してみたら分かる」 から,いかにも分かってくれてるような言動ができたのだと思う. そしてそのことの胡散臭さが苛立ちの原因だったんじゃないかな. だって彼ら彼女らは,いかにも分かってるように見せているけど,本当はぜんぜん別の安全地帯みたいなとこから眺めてるようなもんだからねえ. ぼくらが抱えているような (主観的には) とてつもなく深刻な問題を,抱えたりしてはいないんだ.

でも今はもう,自分はそんな自意識過剰さははるか昔にどっかに置いてきてしまい――といっても今は今の自意識過剰さがあるのだと思うが――,ふつうの大人がそうであるような,せいぜい 「かつてそうだったことを思い出す」 程度の,無神経な人間になった. その現在から,いくら子供のころを思い起こしてみても,あのころの心情は「いまの無神経な視点からみた自意識過剰で幼い心情」として思い起こすしかない. それはかつての自分が苛立ったような大人そのものだ.

子供は大人にはならない. なにか 「別の生き物」 になるのだと思う. しかし記憶は残る. その記憶は,かつていたはずの子供をその場から押し出し,上書きして塗りつぶす.

だから本当は,その思い出や郷愁は,私自身の子供時代とは無関係なんだと言い切ってしまいたい. かつての子供の自分を,失いたくないから.

だが,そんなことは不可能だろう. 思い出は,かつての自分そのものとして思い出されるほかはないじゃないか. それ以外にどう思い出したらいいってんだ.

だから,今の自分が生きているということは,同時に過去の自分をつねに塗りつぶしていくということなのだろう. 楽しかった,辛かった,面白かった,苦しかった数々の思い出は,そのときそのときの自分を失わせていくものなのだろう. そのこと自体に寂寞を覚えるのは,なんだかだいぶひねくれているようにも思うけれど,しかし偽らざる自分の本音なんだよねえ.

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by LIBlog | 2011-06-29 19:54 | ねっとさーふぃん | Comments(0)

「らいか・デイズ」12巻 子供,そして大人

むんこ先生の「らいか・デイズ」12巻を読んだ. いやー,安定して面白いなー.


「安定してる」ってのはちょっと語弊があるかもしれない. 決してマンネリだとかいうことではなく,ちょっとずつ人間関係が変化したり,小さい子供が育ってきたりしてるわけだし. まあ,そういう変化していく面白さも含めて安定してるなーってことでひとつ.

んで,個人的に今巻でいちばん印象に残ったのが,らいか母の子供時代のエピソード. 以下,まぎらわしいので らいか母を「房江」と名前で呼ぼう.

房江の父 (らいかの祖父にあたる豪快なじーさんだ) は当時農業をしていた. で,房江の授業参観に,野良作業着で参加しようとしていた……んだけど,房江に「恥ずかしいから その恰好で来ないで」と言われてしまう. 房江父は「農家の何が恥ずかしい!」と叱りつけるが,しかし授業参観当日は無理してスーツ姿で現れる. 房江の笑顔を期待して…….

しかし当の房江は,笑って迎えるかと思いきや泣き出してしまう. 父が願いを聞き届けてくれたことの嬉しさ,野良作業着で現れなかった安堵ももちろんあっただろうが,その仕事着姿を恥ずかしがる自分の情けなさ,父への申し訳なさ,そんな色々な感情がごっちゃになって泣き顔になっちゃうんだよね.

これ,ホントに印象的なシーンだ. だってさあ,子供ってそうじゃん. 自分が房江の立場でも,親が野良作業着とかで授業参観に来たりしたら,ぜったいイヤだって思うはずだよ. つーか親のことを友達に見られるだけでも,なんかイヤ. 大人って無神経で,おせっかいで,恥ずかしくて…….

でも,そう思っても,そのことを伝えてしまって,向こうが野良作業着をスーツに着替えたりとか,歩み寄ってくれたりしてしまうと,本当に申し訳なくて,悲しくて,自分が嫌になるもんだよな. そんなどうしようもない感情,私だってもちろん持っていた. 子供の自意識,子供の世界. 房江の父も,いくらかは自分の子供時代を思い出して,そしてスーツを着たんだと思うよ. 子供にとって,それは一大事なんだって.

…….

でも,さらに私はこうも思う. 私は,ああ子供時代ってこうだったな,という視線で,房江の授業参観エピソードを読んだ. でも,それって本当に子供の視線で読んでると言えるだろうか?

いまの自分は,たぶん友人に自分の親 (の野良作業着姿でも何でもいいが) を見られても,恥ずかしいとは思わないだろう. 少なくとも かつての自分が恥ずかしがったほどには. だが,ああ分かるよ,子供ってそういうの恥ずかしがるもんだよね,という視線で子供を見てしまうことは,子供を理解しているわけでもないし,子供の視線に立っているとも言えないんじゃないか?

だってその視線は,あくまでも子供ならざる大人の視線なんだから. 自分の子供時代を思い出していることは間違いないと思うよ. でも,子供の心情の根底を支配している,のっぴきならない深刻な衝動を,じつは忘れているんじゃないか? 忘れているからこそ,そうやって冷静に自分はああだったこうだったって思いだせるんじゃないか?

つまるところ,まるでかつての自分のことであるかのように,大人が子供のことを「理解」することは,じつはその子供に対する理解ではなく誤解なんじゃないか,ということが言いたいのだ. 房江の泣き顔の下にある心情を「理解」したと思いこんでいる今のこの感情は,単なる誤解なんじゃないか? むしろ理解したと思いこんでいるそのことは,単に理解できないことよりも,子供にとってタチの悪いことなんじゃないか?

……しかし,そんな疑問を,今の私は決して解決することはできない. もはや私が子供に戻ることは絶対にあり得ないからだ. 私が子供を理解しようとすると,それは「子供時代を思い出す大人」という視点からなされる他はない. そうである以上,私が子供を誤解することは常にあり得ることだろう.

男と女の間には,深くて長い川があるという. 子供と大人の間にも,決して乗り越えられることのない川が横たわっているように思えてならない. しかもその断絶に対しては,おそらく大人の方が鈍感だろうと思う. まるでそんなものがないかのように思ってしまうからである. 房江のあの泣き顔の奥にある心情を,ああそうだよね,分かる分かる,と思ってしまうような,今の私がまさにそうであるように.

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by LIBlog | 2011-06-25 19:00 | マンガ・本 | Comments(0)

「かけがえのない家族と、はじめてのともだちの話。」

とのばな8話. もうタイトルからして泣かせにきてるとしか思えなかったわけだが,内容も鮮烈な印象を残すものだった.

かけがえのない家族と、はじめてのともだちの話。 ‐ ニコニコ動画(原宿)


ネタバレ格納~

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by LIBlog | 2011-06-24 22:28 | 動画サイト関連 | Comments(4)

バグったゲームは魅惑の世界

最近,ヒテッマン氏の動画を楽しく見てる. 改造してバグらせたゲームのプレイ動画をめちゃくちゃたくさんニコニコ動画にアップされてる方だ.

最近はドランクエスト5シリーズが人気みたい. 数日おきに新作アップというハイペースで更新を続けておられるので,私も楽しみに追いかけている.


見慣れたSFC版ドラゴンクエスト5の世界がカオスに飲み込まれていく. キャラクターが置き変わったり,マップが変化したり,セリフも名前も何もかも変化してる. 一見もとどおりのセリフが現れたと思ったら次の瞬間にはわけの分からない文字列に変化していったり. 次の瞬間なにが起こるか分からない面白さがあるのよね. 食事しながらとか,なにか飲みながら見たりしてはいけない. あなたのキーボードやモニターが危ない.

んで,過去作に戻って追いかけてみたりもしてる. ものすごい量の動画をアップしておられるので追うのも大変だ. 嬉しい悲鳴.

つい最近,スーパーごちゃマリオ3シリーズを完走した. これも最高に面白かったなあ.


これも,次の瞬間なにが起こるか分からないので一瞬たりとも油断できない. ヒテッマン氏 (と,たまに友人おひとり) の実況つきなんだけど,彼の喋りもけっこう好きだ. 基本ローテンションだけど味があるっつーか. ツッコミは逃さないし.

改造マリオはニコニコではたぶんかなり歴史があって,大百科なんかを見るとなつかしさとともに思い出すものがある. 友人マリオシリーズとか全自動マリオシリーズとか,好きだったなあ. 実況つきだと今では無理ゲーな高速マリオとかが人気,だろうか.

ただ,これらの改造マリオと違って,ヒテッマン氏の このシリーズはステージがバグって変化してるので,そこに人間の意図が介在してないのよね. それがまた突拍子もないわけの分からない変化を生むわけで,個人的にはシリーズ最大の魅力はそこにあるんじゃないかなーなんて思ってる.

今でも精力的に活動されてるみたいで嬉しい限り. ドラコンクエストシリーズも,新たな実況シリーズも,楽しみに追いかけていきたいと思ってる.

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by LIBlog | 2011-06-23 20:17 | 動画サイト関連 | Comments(0)

「ふたごもんじゃ」 ふたごを描くということ

「ふたごもんじゃ」を何度も読み返してる. いいなーやっぱり. これ好きだわー.


ついこないだ感想を書いたばっかなのに (→LIBrary : 「ふたごもんじゃ」 双子の少女時代って,どんなもの?),またなんか書きたくなったのでチョイチョイと.

この作品,一卵性双生児のふたりが主人公なのに,ふたりの「違い」を強調する描写が多くて,そこがかなりツボなんだよね. もう登場人物紹介のところから,元気っ子の奈乃子,気にしい屋の香乃子,って感じで紹介されてるわけで.

んで,まわりの人達も,誰ひとりとして この二人を一緒くたにして扱ったりとか,無駄に比べたりとかしないのね. それもいいわー. 当然そっくりなんだから間違えたり見分けられなかったりはするんだけど,奈乃子は奈乃子,香乃子は香乃子できちんと分けて接してるの. みんながみんな. 唯一の例外が大原先生っつー先生だったりするんだけど,彼も一巻最後のほうでちゃんと気づくしね.

印象的だったのが,これも一巻最後のほうでのパパのセリフ. パパはママと違って二人をなかなか見分けられなかったりするんだけど……


「確かにまちがえることも多いけど
わかるよ
元気なのが奈乃
気にしぃ屋が香乃
どっちかわかんなくなるのは顔だけだ」
「ダメじゃん!」

「それ重要」というタイトルの四コマ. いや,うん,たしかに顔は重要かもしれないけど,ここで言われてることって別の意味で重要だよね. だって顔はそっくりかもしれないけど,別々の人なんだよ,それを僕らはきちんと分かってるよ,って言ってるんだから. ああ,この作品では,彼女たちは双子=そっくり=シンクロ=同調みたいなステレオタイプなキャラクターじゃないんだなー,ってことがよくわかる.

奈乃子香乃子も,もういっぽうの双子コンビも,どっちも「役割が入れ替わる」ってのも,なんかステレオタイプな双子っぽくなくていいな. 最近はこっちが姉,あっちが妹. 以前は逆だった,……みたいな. そういうのって普通にある変化だと思うけど,双子でこういうのってあんまり見ないよな.

やー,そんなわけでいいです,「ふたごもんじゃ」. まだしばらくは この作品に浸ってそうな感じ.

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by LIBlog | 2011-06-22 21:32 | マンガ・本 | Comments(0)

「ふたごもんじゃ」 双子の少女時代って,どんなもの?

矢直ちなみ先生の「ふたごもんじゃ」をジャケ買いしてきた. サムネホイホイならぬ,表紙ホイホイ. この作品を好きになることは,表紙とタイトルの時点でもう分かってた. そしてその通り好きになった.


小学生の一卵性双生児の女の子が主人公. ケンカもするけど仲良しこよし,ほのぼのドタバタの日常を描く作品. 小学三年生ってのがいいね. 自意識が芽生える,そのいっちばん最初の入り口だ. また二人とも可愛いんだコレが. 元気いっぱいの奈乃子,心配性で気遣い上手の香乃子. ふたりともすげー可愛い.

そもそも一卵性双生児が主人公ってだけで私は興奮するのだ. なんでかってーと,子供のころに読んで大好きだった二つの作品,あだち充先生の「タッチ」と成田美名子先生の「CIPHER」の影響が強いんだよな,たぶん.

とくに「CIPHER」はもう好きすぎて今でも年2回,盆暮れあたりに読み返す. いやーほんと好きだわアレ. なんで好きなのかよく分かんないんだけど,シヴァとサイファの一卵性双生児の二人がたまんなく好きなんだよね.

最初はべったりくっついて互いに依存してたシヴァとサイファの二人は (本人たちがそう語るからね),やがてすれ違いを経て離ればなれになり,一年の時を経て再開を果たす. そのときにはちゃんと二人ともそれぞれの世界を築いて,ひとりだちしてるんだよね.

それは双子のもう一方を影の自分と見做し二人きりの世界で完結して外界をシャットアウトすることで全能感を満たしていた幼児期が過ぎ去り,その閉じた世界に対して時とともに必然的に生まれてくる齟齬に対し過剰反応し相手に全ての責めを帰して反発する少年期を通り抜け,やがて他者と対面し各々が世界と向かい合うことで,かつて影の自分だった相手も独立した存在として世界を表象する一つの人格なのだとして受け入れることを可能にするまでの物語であり,言葉の正しい意味において文字通り人間の成長を描き切った作品なのだ……というのはいま考えついたもっともらしい双子の物語の意味だったりするんだけどw ま,んなこたーどーでもよくて,とにかく一卵性双生児の物語が好きなのだ.

んで,「ふたごもんじゃ」は,「タッチ」とか「CIPHER」とかでは回想シーンなんかで駆け足でポイントだけ,要点だけ,断片的なシーンだけ描かれることの多かった,幼いころの双子の関係なんかを描いてくれてるのよね. これがいいんだわ. 双子同士は,ふつうの兄弟にも親友にもない,独特の楽しさと辛さがあるよね,とくに幼いころは……ってのが一冊まるまるじっくりゆっくり描かれるんだからね. 双子ファンには垂涎ものだよ. いまはすげー楽しいよね,でもこれからイロイロとあるんだろうな……なんて思ったりして.

たとえば,たいていの双子は,学校では別々のクラスにされるのだろうけど,この二人はあまりに仲が良すぎて,特例で同じクラスにされているという設定なのだ. だがカバー裏を見ると,中学だか高校だかに行ったら,ちょっと変化が出てきてたりもする. さあ,その間に何があったの? なんてのはかなりワクワクするなあ.

そうやって二人の関係の変化を追いかけるのも楽しそうだけど,ふつうに彼女たちの日常を追いかけるのも楽しい. 双子ならではのシンクロニシティなんかが描かれるのは最早お約束だけど,それも可愛くてたいへんによろしい. そして意外なことに,一卵性であるはずの二人の「違い」が最初から強調されていて,そして何度も何度も繰り返し語られることが特徴的だ. 個人的に印象に残っているのが,しぐさや言動が同じってことは双子じゃなくても普通の兄弟姉妹だってそうなる,なぜなら生活を共にしているからだっていう,二人の親友の指摘. あ,そうか. そりゃそーだわ. 双子って,なにも特別なことばかりじゃないんだ. 特別だの特殊だのと言い立てる前に,そんな当たり前のことに気づくのって大事だよなあ.

いやー,どこをどう見ても,すみからすみまで,いい作品だわー. 続きが楽しみだね. 表紙に「1」って書いてあるのは,信じていいんだよね. 続け―続け―続いてくれー!

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by LIBlog | 2011-06-20 20:44 | マンガ・本 | Comments(0)

「天才の栄光と挫折」 天才の天性と本性

藤原正彦「天才の栄光と挫折」が文庫化していたのを見つけたので,ひさびさにパラパラとめくってみた. 文庫が出たのは もう3年ほど前みたいで,私が気付かなかっただけで別に新刊と言うわけでもないのだが…….

同書は天才と呼ばれる数学者――ニュートンやガロア,ラマヌジャンなど9人――の人物伝. 選書で読んで,非常に面白かったので印象に残っていた.

筆者自身も数学者であるけれど,もちろん読むときに数学的教養を要求されることはない. 筆者自身がその人物にまつわる土地を渡り歩きながら,ゆかりの人物を尋ねたり,直筆のノートを手に取ったり.

そのあとを追いかけながら,いつしか筆者の視点と読者の視点が同化していく. ただその人物にまつわる事実を羅列したものでもなく,さりとて「この人物のここがすごい!」的にどこまでも主観的な評伝にとどまるわけでもない. 主観に入り込んだと思うと客観に離れる. そのバランスが心地よい.

筆者自身の,取り上げた人物たちに対する深い尊敬と親しみに満ちた視線が印象的である. 栄光もあれば,挫折もある. 自身の天才に翻弄されるさま,時代を超えすぎたものの苦しみ. それらは,せつない. 一見そうとは映らないかもしれないが,数学は人間の営みなのである.

…….

この人,旅もののエッセイはすごい好きなんだけど,日本人かくあるべしなどと語り始めるとイキナリ私には読めなくなってしまうんだよなあ. あの落差はなんなんだろう. そーゆーものも一度無理してでも読み切ってみようかな. なんか見えてくるものがあるかもしれない.

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by LIBlog | 2011-06-16 19:41 | マンガ・本 | Comments(0)

「カルバニア物語」 道徳・反道徳・中庸

最近,TONO先生のカルバニア物語を再読している. じっくりゆっくり進んでいく,この物語がすっごい好きなんだよね.


物語の見どころは,カルバニア王国史上初の女性の王・女王として国を治める主人公タニアと,その親友で これも史上初の女性侯爵として立つことを目指す もうひとりの主人公エキューが,アタマの固い周囲のオヤジたちをひっかきまわして八面六臂の活躍をするところ,といったところか.

7巻で出自をあきらかにされるタニアの気高さ,10巻でついに夢をかなえるエキューの誇り高さ,そのどちらも めっちゃくちゃ感動的だ. 10巻ラストは読むたびに涙腺が熱くなる.

…….

ただ個人的には,そういう盛り上がりポイントも非常に楽しんでいるんだけど,ひそかに大好きなポイントってのもあるんだよね.

それは登場人物がナチュラルに反倫理的な側面を見せてくれるところ. ヘンに道徳的,倫理的,教条的じゃないところ.

タニアが基本わがままなお嬢様なのは,まあありがちな設定だからいいとして,たとえば主役級と言っていいエキューが割とナチュラルに暴力を振るったり――そもそも「暴力が大好き」と公言しているのだ!――,あまつさえ敵とはいえ何度も人を殺している. タニアに思いを寄せるコンラッド王子も,この人かっこかわいくて大好きなんだけど,はっきりは描かれないが明らかに自分よりもブサイクな男を見て自信を取り戻したり,みたいなことをしてる.

この人の作品だと,他に「砂の下の夢」とか「ラビット・ハンティング」とか「チキタ☆GUGU」なんかも大好きなんだけど (→LIBrary : TONO先生のマンガが好きだ),どっちもぜんぜん道徳的でも倫理的でもない. チキタ☆GUGUなんかは人食い妖怪が主人公で数えきれないほど人を殺してるんだけど,とくに罪を購うとか過ちを償うとか,そーゆー話にはならない.

でも,それが個人的には好きなんだよね. 物語全体を使って道徳だの倫理だのを教え込むとか,逆にことさらに「既成の道徳的観点にチャレンジするのだ!」みたいなカウンター的な気負いもない. みんなある面では倫理的で道徳的で,ある面ではそうでもなく,他人に対しても「気に入る」「気に食わない」などといった道徳的感想を,それぞれに持ったり持たなかったりしてる. それがいいのだ.

こうしてはいけない,こうすべきだ的な道徳観,人間観ってのは,そりゃーある程度は持たなきゃ社会生活なんかやっていけないんだけど,あんまり強く持ちすぎたり,逆に既成のそーいったものに対するアンチな気分を持ちすぎたりすると,生きていくのがやっかいになりそうだよなあ,と思う. TONO先生の作品みたいに,どっちのメッセージも強く出し過ぎずに,そーゆーもんだよねケセラセラ的に世の中渡っていきたいなあ.

立川談志は,落語のテーマとは「人間の業の肯定」なのだと言った. それにひっかけて言えば,TONO先生の作品で私が大好きなのは,人間の業を肯定するでもなく否定するでもなくそのまま描いているところ,と言えるかもしれない. メインでもなければカウンターでもない,作者自身もとくに意識して描いてはいないかもしれない,そういったキャラクターの描き方が好きなのである.

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by LIBlog | 2011-06-15 19:19 | マンガ・本 | Comments(0)

「色黒の社長の話」。

ガルシアPの「とのばな」シリーズ,第七話が投稿された.

【ニコニコ動画】傲慢なプロデューサーと、孤高のレーベル主宰者の話。


自然に引き込まれる独特の魅力と,予想を裏切る展開の心地良さはそのままに,物語は進みつつもその広がりを増してきている.

「駆け出しアイドル」をめぐって,ふたつのプロダクションはいよいよ真正面からぶつかっていくことになるだろう. かつてはアイドルとして,ときに戦い,ときに助け合ってきた彼,彼女たちが,こんどはその活躍の場をプロデュース業に移して,ふたたび戦おうと,あるいは助けあおうとしている. 勝利の女神はどちらに微笑むことになるのだろうか.

…….

今回あまりにもワクワクしたので,すこし今までのシリーズを振り返りつつ,思うところを書いていきたい.

ネタバレ格納.

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by LIBlog | 2011-06-12 22:18 | 動画サイト関連 | Comments(2)

「まおゆう」3巻 激動と,覚悟と

橙乃 ままれさんのまおゆう魔王勇者 3 聖鍵遠征軍,一巻から続けて三巻まで,を三周くらいしてる. いやーやっぱ素晴らしいねー「まおゆう」は.


今巻はまさに激動の只中に入った,といったところかな. クリルタイの謀略を経て,魔族の版図が大きくかわり,その一部は人間界と結託して大きな争いへと発展していく. それは人間vs魔族などといった単純な構図でまとめられるような戦いではない. 何十もある人間の国,魔族の氏族,そこで暮らす様々な職業・身分の住民たち. そのそれぞれが結託したり相反したりして,複雑怪奇な関係をつくりだしている.

蒼魔族の地上遠征がその戦いの直接の引き金だが,それは王弟元帥ひきいる中央の思惑に,ある意味で操られたものとも言えるかもしれない. その王弟と聖教会はマスケットによる用兵の劇的な向上を背景に魔界に侵攻する足がかりを築くために南へと進軍する. 迎え撃つ南部諸王国も食糧生産や公衆衛生の改善により国力は高まっている. 魔族の援軍もかけつける.

この戦いはおそらくこの世界では史上初の総力戦であり,犠牲者は膨大な数にのぼっている. 想像を絶する悲劇もそこかしこに見られる. たとえば,奴隷とされた同胞相手に弓を引かねばならない場面などがそうだ. あれはウェブ版を読んだ時にもっとも印象的だった場面の一つだった (→LIBrary : 「まおゆう」,おもしろかったー).

ただ,そんな悲劇の中にあって,それでもなお輝いてみえるのは,覚悟の定まった人々の意志の強さだ. 魔王・勇者の薫陶をうけたメイド姉の出奔. 奏楽師弟との運命的な邂逅. その奏楽師弟と土木師弟の,自らの使命を見定めた,大地に根を張った強さ. 彼ら彼女らの強さに,読んでいるこちらも元気をもらっていた.

土木子弟「よっし、こいつだ」カリカリッ
奏楽子弟「もうっ。食事中くらい、図面をおこうよ」

土木子弟「悪い悪い。だけど、どんどん頭の中に
 新しい工法や工夫がわき上がってきてさ。
 メモを取っておかないと忘れてしまうんだ」

奏楽子弟「もうっ。本当に馬鹿だなぁ」
土木子弟「仕方がないさ。早く作ってくれって橋が云っている」

奏楽子弟「橋が?」
土木子弟「ああ。そうさ」

奏楽子弟「あんたほんとに変わってるよ」

土木子弟「そうかなぁ。お前にも聞こえるもんだと
 ばっかり思っていたけれど」

奏楽子弟「え?」

土木子弟「お前だって憑かれたように歌ったり、
 あふれ出すみたいに戯曲を書いたりするじゃないか」

奏楽子弟「それは、まぁ」

土木子弟「あれは、お前の内側から、そう頼まれてじゃないのか?」
奏楽子弟「……」

土木子弟「頼まれる、と云うと相手が俺たちみたいな言葉を
 話しているみたいだけれど、そうじゃなくさ。
 なんていうのかな。
 迂回路を通ってまとまった水流がため池に注ぎ込んで、
 それが溢れ出しそうと云うか、
 こぼれ落ちそうになって、俺をせき立てるんだ。
 “早く作って! 早く完成したいよ!”ってな。
 だってそうだろう?
 この橋は完成すれば、沢山の人のお腹や、懐や、冒険心を
 満たすためにあらゆるものを運ぶことが出来るんだ。
 早く生まれたがっても不思議じゃないさ」

奏楽子弟「……うん」
土木子弟「ん?」

奏楽子弟「判るよ。それは歌声でしょう?
 生まれ出たい声なき声で歌い上げるハルモニアだ。
 胸の中で、フィドルが、リラが、ツィンクの勇壮な響きが
 なっている、早く生まれたいと懇願の声を立てる」

土木子弟「ちゃんと判っているじゃないか」

ウェブ版から. これはホントに大好きなやりとりだ.

まがりなりにも同じく仕事をして生計を立てている人間として,ああ,こうありたいもんだ,と思う. こんな感じに,掻き立てられるような感覚で何かをするときは本当に楽しいものだ. ……いや楽しいというか,渦中の時は楽しいかどうかすら分からないくらい夢中になるわけで. ああ,いま読み返してもここはいいシーンだ. いい会話だなあ.

これだけ何度も読み返しても,そのたびにハラハラドキドキワクワクしつつ,元気になれるってのは素晴らしいね. また四巻が出たら,いや出る前にもう一度読み返そうか.

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by LIBlog | 2011-06-11 07:17 | マンガ・本 | Comments(0)