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大人の視点,子供の視点,その非対称性

愛読(?)している基本読書ニュースさんの7/23付の雑記が,たいへんに印象的な内容だった.
中学生ぐらいの頃、大人はすぐ「ここまであっという間だった」というが、そんな大人には絶対になりたくないと中二心に思っていた。なぜならそれは「いろいろあった」ことをどんどん忘れて印象的な物事を数点覚えているだけで、そのせいで「あっという間だった」と感じるだけだと思ったからだ。本当はあっという間なんかじゃないのに忘れているだけなのだ、それなのにあっという間だったという言葉でいろいろあったことを全部なかったことにしてしまうのは自分の周りでいろいろあったことに対してあんまりにも失礼じゃないか、と思った。今でも思っている。

しかし一般的に大人と言われる年齢になってみるとたしかに結構あっという間だと思ってしまう。割と毎日が早いし気がつくと一カ月終わってしまう。あれれえ。

2011-07-23 - 基本読書ニュース

私は 「あっという間だった」 と語る大人になりたくないと思ったことはなかったけれど,大人に対して (おそらく) これに近い感覚をもったことはある. 子供に共感する大人の,その共感への違和感,というかそんな感じの感覚. このへんの文章でも書いたことだけど.

なぜその感覚が,冒頭の基本読書ニュースのhuyukiitoichi4さんが仰っている感覚と共通しているように感じられるかというと,

まず,大人の視点から見た子供というものが,実際の子供視点とはズレているということ,

そしてさらに,その大人 (の視点) は,実際の子供視点とのズレを感じ取っていないということ,

そのふたつが子供時代の私を苛立たせていたのだと思うし,おそらくは中二の頃の(?)huyukiitoichi4さんの苛立ちも,それと同根だと推察するからだ.

…….

重要なのは,大人は子供の視点を決して理解することができないということだけではないと,最近では思うようになった. もちろん,そのことも重要だ. 大人は子供のことを決して理解しないだろう. 同様に,子供は大人の視点を決して理解することができない. しかし問題はそれだけではない. 重要なのは,大人と子供では決定的に非対称なものがあるということ. 大人は子供時代を経験している. だから大人は,子供のことを理解できると思っている. 少なくとも自分自身の子供時代だけは. 本当は,そんなことはないのに.

「あっという間だった」 と子供時代を片づけてしまう大人は,体感時間の短縮とか慣れとか,そういったことが原因で,自分の子供時代を短縮できてしまえるのだろう. それはたしかにそのとおりだと思う. だが私にとっての問題の本質は,彼ら彼女ら (そして私自身も!) が,大人である今の視点から子供時代を理解していて,しかも自分がそうしているということを自覚できないところにある. それが,私が 「大人と子供の非対称性」 と呼ぶところのものだ. この非対称性こそが重要な点なのだと思う.


本当はあっという間なんかじゃないのに忘れているだけなのだ、それなのにあっという間だったという言葉でいろいろあったことを全部なかったことにしてしまうのは自分の周りでいろいろあったことに対してあんまりにも失礼じゃないか、と思った。今でも思っている。

2011-07-23 - 基本読書ニュース

その非対称性が,大人の 「失礼さ」,無礼さ,傍若無人さの根本にあると思う. もちろん私自身もそのように無礼で傍若無人で暴力的な大人のひとりだ. だがそうなりたくないからといって,今から子供の視点に立とうと思っても,どうしたってそれは大人から見た子供の視点になるよりほかはない. 子供の視点はもはや二度と手に入らない.

ただ,子供の視点を手に入れたいと切望しているわけでもないのだけど,ね. そうではないけれど,いま子供時代を振り返ってあれこれ思い出すできごとの数々は,「大人の視点」 から見て理解しているものにすぎない,ということは自覚したいと思っている. それは自分の子供時代を忘れ,なかったことにするどころか上書きしてしまうような 「失礼」 を冒したくはないからだ. 得られないものを得たと思いこんでごまかすよりは,もう二度と得ることはできないと寂しく見つめるほうが,まだマシではあるだろう.

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by LIBlog | 2011-07-31 17:23 | ねっとさーふぃん

「うさぎドロップ」 子供と,大人と,おねーさんと.

「うさぎドロップ」,相変わらず読み返しまくっている. 他の新刊も買ってるんだけど,「うさぎドロップ」世界にどっぷりで,ちょっと今は別作品に行けない感じ.

前回,りんとダイキチのたどり着く先について, 「最初は意外だったけど読み返すうちに自然なものに思えてきた」 と書いた. んで,それからも何度か読みなおして,だんだんとそう感じた理由が分かってきた,かもしれない.

りんは6歳で育ての親のじいさんと死に別れてダイキチに引き取られる. それからダイキチが育ての親としての役割を引き継いでいく……というのが物語の基本線になっている.

で,たしかにダイキチはりんの保護者なんだけど,りんってなんかあんまりダイキチの子供としてふるまう場面が多くないように感じてる.

ダイキチ自ら語っているけど,りんは自分でできることは自分でやろうとする意思がすごく強いんだよね. おにぎりをにぎったり,シーツを替えようとしたり. そりゃたしかに病気の時に甘えたりとか死を怖がったりとか,子どもっぽい振る舞いもあるよ. あるけど,それはダイキチに頼りきってそうしてるんじゃなくて,ただ参照できる知識とか経験とか慣れとかがないから年長者のダイキチに頼ってるってだけなんだよな. それは子として親を頼ってるんじゃなく,むしろ対等な立場で,経験者の知恵を借りているということに近いんじゃないかと思う. 物事を決めるのも自分からだし,分からないことはハッキリ分からないと言うし. 子供の振る舞いじゃないよコレ.

だから,りんはじいさんと死に別れたとき,ひょっとしたらもう子供じゃなくなったんじゃないかな. あのときすでにりんは,独立心が強い子どもじゃなく,経験の浅い大人だったんじゃないかと思う. だから,りんって物語を通じて,その本質はほとんど変わってない. 一巻冒頭から九巻ラストまで,本質はぜんぜん変化してないんじゃないかと思う.

だから,ダイキチに対する想いってのも,じつは一巻冒頭のあの出会いの場面からラストの場面まで,ずっと一貫して同じだったんじゃないかなあ. それが冒頭の場面で,ダイキチを 「選んだ」 理由であり,最後にダイキチを 「選ぶ」 理由でもあると. もちろん6歳と16歳ではいくら本質が同じでも表層に出てくる想いの形はぜんぜん違ってきて当然なんだけど,根底のところはまったく同じであり続けたんじゃないかと思う.

……とまあ,私は今のところ りんのダイキチに対する想いについて,こんな受け取り方をしていて,だからあの展開がすごく自然に思えたのかなー,みたいに感じてるわけだ.

りんは子供から大人になったんじゃなく,はじめから大人だった. その本質に,心と体が追いつくまでの物語が 「うさぎドロップ」 という作品で描かれたんじゃないかと思うわけだ.

…….

子供と大人といえば,ダイキチもイロイロ答えが出てないとか言われて,まだまだ子供みたいな描かれ方をしてるけど,あれはどう見ても大人だよなあ. りんを引き取ることを決めてからの覚悟のあり方というか,そこら辺がもう素晴らしい. こりゃちょっと自分じゃ敵わないなー,と思わされる.

いやそりゃ,保育園がどうだ,予防接種がどうだとか抜けてるところはいっぱいあるけど,心構えが一本ピシッと筋が通ってるから,そういう細かい問題が深刻な問題にならない. だからまあ,いろいろとドタバタはするんだけど,やっぱ一番大事なところは外さないんだよね. いやーさすがっすダイキチさん.

…….

ところで,ダイキチやりんと比較して,こいつは明らかに子供だなーと思うのが,りんの実母で漫画家の正子さん.

親になる自信がなくて逃げ出したりとか人とコミュニケーション取るのが苦手だったりとか,まあいろいろあるけど,ダイキチとの対比がいちばん明確に出てるのが,子供と仕事ってのをどう自分の中で受け止めてるかってところ.

ダイキチはこう考える.

うちの課は俺がいなくなってもいずれは落ち着く まわしていけるハズ 
じゃないと組織としておかしい

でもりんのことは そうはいかん!!


一巻の最初の頃から,ダイキチはそう考えているし,そう行動してきている.

いっぽう正子さんは.

ごめんね…
どうしても… やりたい仕事があったの

そのとき… 思ってたの…
「お母さん」になれる人はいっぱいいるけど
「あたしの仕事」を出来る人は あたししかいないって


これって 「その他大勢」 じゃない,たったひとりの私というものを認めてほしい,という願望からきている心情だよね. もう明らかに子供. 子供が親に認めてほしいことって,煎じつめればこれだよな. ダイキチと比べてみると,その違いがよくわかるってもんだ. こう言われたときの りんの返しと比べてみても,あきらかに正子さんのほうが りんより子供だってのが分かる.

じゃあ正子さんはダメなのかっていうと,これがそうとも言いたくないのが難しいところっていうかねえ. 私は正子さんに対してすごい親近感と,あるいは尊敬の念すら抱いちゃう. 正子さんだってカッコイイんだよね.

いやそりゃ,この人が子供だってことで,いろんな人を傷つけたり迷惑かけたりしてると思うよ. ダイキチとりんは被害者もいいとこだよね. けど,そう言うだけあって正子さんの仕事っぷりって物凄いことになってる. 仕事に対するパワーがぜんぜん違うんだよな. この人にとって仕事ってのは日銭を稼ぐとかそういうもんじゃないんだよな. 自分の存在そのものをぶちまけ,自分の全てをぶつけるものなんだ. こんなの,普通の人にはできないよ.

だから,大人も凄いんだけど,じつは子供ってのもすごいんだよな. 大人になれなかった子供と,子供をひきずる大人に嫌悪感を抱く大人が分かり合えることは絶対にないとは思うけど,どっちもすごいんだ.

……だけどやっぱり,この二者が直接対峙したら負けるのはいつも子供のほう. 「逃げ出した」 正子さんは, 「受け止めた」 ダイキチには頭があがらないわけでね. まあそういうもんだとは思うけど,個人的には,寂しいもんだなーという思いが拭えないんだよなあ.

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by LIBlog | 2011-07-18 23:16 | マンガ・本

「うさぎドロップ」のなかにいる

宇仁田ゆみ先生の「うさぎドロップ」全9巻. 番外編連載中だが,本編はめでたく完結した.

9巻を購入してからというもの,何度も何度も読み返している. 今はこの作品の世界の中にどっぷりとひたっている感じ. いやー,素晴らしいですよコレ. 最近はアニメ化やら実写映画化やらで大ブームな感じだけど,さもありなんと.

なにがいいかっていうと……うーん,あんまり言葉にならない. というか,まだあんまり作品を外から眺めて文章にするって気にならない. 作品の中にいる,って感じだからねえ.

なんか自分の文脈にぶち込んで,子供と大人の対比がどうたらという話にできるかもしれないけど,そんなこと やりたくない. まだそんな,作品を切り刻んで消化して吐き出すようなマネはしたくないな.

というわけで全体的な,おぼろげな感想を…….

思い起こしてみると,最初にラストに至る展開を読んだときは,「うわっ,そう来たか!」 って感じでかなり意外だったんだよね. ただ,最初から最後まで何度も何度も何度も何度も読んでると,これがすごく自然な展開に思えてくるから不思議なもんだなあ.

いやもう,ほんとに自然なんだよねコレが. 別にこの展開が必然だとか絶対だとか言うつもりはないけど,すごく自然に流れていって辿りついている着地点だと思う.

だってさあ,りんがどうしてああいう風に考えるようになったのか,ダイキチがどうしてああいう反応をしたのか,コウキがなんであんなことになっちゃったのか,もう全部,唐突でもなんでもなくて,その展開以前の流れを受け継いでいるんだもんねえ. だからなんか,言い方はアレだけど展開が論理的なんだよな. 心情や動機にぜんぶ根拠がある. だからもう,一巻の冒頭からラストまで流れるように導かれてる.

だからといって,ストーリーのためにキャラクターがあるわけでも,イベントが生じるわけでもないけど. あくまで偶然の中にキャラクターが放りこまれて,それでああなってるって感じ. うーん,すばらしいな.

大人たちも,子供たちも,決して饒舌ではないけれど,それぞれにめちゃくちゃ考えて,悩んで,迷って,自分の気持を大事に,けど相手のことはもっと大事に,考えて考えて,そして辿りついた先がラスト. これはもう納得せざるを得ないよ.

いやーほんと,すばらしい作品だった.

…….

うさぎドロップもそうだけど,宇仁田先生の作品では「よにんぐらし」「ソダテコ」といったファミリーものが抜群に好み. ソダテコは連載中っぽいし,うさぎドロップ番外編も出るだろうし,楽しみだなあ.

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by LIBlog | 2011-07-15 22:04 | マンガ・本

「放課後ピアニスト」 天才たちが幼かった時代のワンショット

十野七先生の「放課後のピアニスト」1巻. いいねーこれ. 好きだわ.


高校のピアノ部を舞台にした,まったりゆっくり日常もの4コマ作品. まったりゆっくりとはいえ,登場人物たちはピアノに関しては音大進学,プロのピアニストという道も視野に入っているくらいの才人が揃っているんだけどね. ただまあ,輝くばかりの才能の持ち主ってことはさておいても,高校生というよりもうちょっと幼く見えて,みんな滅茶苦茶カワイイのだ. そこがこの作品の魅力だなー.

主人公,響レミは天才肌で,成績は赤点スレスレ,練習ではダメダメで体力もない……のだけど,ピアノは超大好きで本番となると凄い実力を発揮しちゃうし,疲れ果ててもピアノに向かおうとするくらいのピアノバカ. んで彼女の幼なじみの少年山田曽良はというと,こっちは完全に秀才タイプで何をやらせても上手く,ただレミほど人を惹きつける演奏はできない,と.

いいねえ,この対比. どっちも互いにないものを持ってて,魅かれあいつつ (恋愛的な意味でなく) よきライバルでもあるわけで. 「のだめカンタービレ」が好きな自分には こーいう天才と秀才の仲間かつライバルな組み合わせはツボだわー.

ピアノが好きだって気持ちのまま突っ走ってるレミだけど,このままいくと壁にぶつかるだろうなあ. 「文脈に沿った」あるいは「売れる」演奏を要求されるプロってものには,好きで演奏するってだけじゃーなれないだろうからねえ.

曽良のほうはってーと,やっぱ今一つ吹っ切れるもんが無いわなあ. 彼は天才ってわけじゃないので,そっからもう一歩進むには,なんてーか不退転な決意的なものが必要だろうからねえ.

ま,そういう感じで壁にぶち当たって悩んで突破するような燃える物語も好きだけど,それはのだめでも楽しんだものだしね. この作品では,とりあえず今のところは彼ら彼女らが楽しくワイワイ演奏する姿を楽しみたいなー. なにしろみんなカワイイから.

こんな時代はそう長くは続かない (レミや曽良たちが「あとで価値が出るから」みたいなことを言いながらピアノにサインする姿が,いつかは終わるこの時を予感させるんだよね). だからこそ,今は ほやほやと戯れる子どもたちの姿を愛でていたいのだ.

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by LIBlog | 2011-07-13 20:21 | マンガ・本

「ラビット・ハンティング」 傷だらけの美しいウサギたち

TONO先生のラビット・ハンティング (既刊は2巻まで) を読み直してたら,なんかしみじみと感じ入ってしまった. いい作品だなあ,これ.


物語の主人公は,モデル事務所に所属し,天使のように愛らしく可愛い少女,チャイナ (主人公だとは明示されてないけど,私個人の主観としては明らかに彼女が主人公). 彼女には悪いうわさがあった. 男にべったり,誰彼かまわず股を開く女だと.

でも本当は,彼女は愛らしい外見が災いして,幼いころに家庭教師に性的虐待を受け,しかもそのことが漏れ伝わったせいで男に狙われ,襲われるようになってしまっていたのだ. うわさを真に受けた女の子からは仲間に入れてもらえず,またチャイナ本人は男の子を怖がって近寄らず,結果として男の子からも女の子からも遠ざかり,孤立していたのだった.

チャイナは,男を引き寄せる自らの 「可愛さ」 をも少しずつ嫌うようになっていく. さほど痛々しい表現はされていないものの,しだいに自傷をするようになっていき…….

狙われるのは いつも 群れから はぐれたもの

子どもや 年よりのように 弱いもの
かわかない 傷をもつもの

そして どこか かわった容姿のもの

「それが この世界の
ハンティング ワールドの おきてだよ」

「ラビット・ハンティング」,ウサギ狩り. 弱いもの,傷ついたもの,異質なものは狙われて,より強いもの,健康なもの,群れているものに狩られ,食いものにされていってしまうものなのだ…….

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この物語で,とても強い印象を残すものは,チャイナとその母,ライラとの関係だろうなあと思う. カバと鳥の童話に託して語られる,親子のすれ違い.

可愛らしく愛らしい容姿をもって生まれたチャイナと対照的に,ライラは幼いころから自分の容姿にコンプレックスを持っていた. 可愛いからとひいきにされる友人を眺めながら,その反抗心,反発心をバネに,キャリアウーマンとして成功をおさめたのがライラなんだよね. だから娘のチャイナにも,容姿をひけらかさず,独立して生きていく気概と強さを植えつけようと教育に励む……わけだけど,逆にそれがチャイナに対する性的虐待の引き金をひくことになってしまうわけだ. ライラは確かに娘を深く愛しているんだけど,それが娘を追いつめることになっちゃう. いやー,なんとも救いがない話だ. よしながふみ先生も「愛すべき娘たち」で似たような母娘関係を描き出していたなあ.

物語が2巻以降も続いてくれれば,チャイナがライラに「赦し」をあたえるところまで描いてほしいな,と個人的には思う. 娘である自分を,守るどころか傷つけるばかりだった母親ライラを,いつかチャイナ自身が赦せるところまで,チャイナが辿りついてくれたらいいなあ.

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ところで,チャイナを支えようとしてくれる人は,いま作品中に少なくとも二人いる. 彼女にほのかに想いを寄せる少年クロムと,モデル事務所の経営者で,実質的にチャイナの保護者であるチャーミー. 立場は違えど,この二人はチャイナの傷を見つけ出し,救おうとしている.

ただ,この二人はじつのところ その立場が大きく違っているんだよね. そしてその違いはチャイナにとってとても大きな意味をもつと思ってる.

というのは,クロムとチャーミーが意識的にチャイナを支えようとしている地点ってのは大人としての立場からであり,対してクロムの方は,じつは同じように傷をもつ子どもとしてチャイナを支えている面があると思ってるんだよね. こっちの方は,クロムが意図していない支え方ではあるんだけど.

とくにチャーミーに顕著なんだけど,彼女はかつて母の愛情の犠牲者だったんだよね. 自分が嫌がっていたにも関わらず何度も整形手術をさせられて,生まれ持った顔とはまったく違う顔にさせられてしまった (チャイナの場合と問題が正反対だってのが印象的だなあ). でも,はっきりそうとは語られないけど,いまではたぶんチャーミーは母を赦しているんだと思う.

どうしてチャーミーが母を赦せたかというと,チャーミーは母以外に依って立つ場所をすでに見つけているからなんだよね,たぶん. 揺るがない拠り所がすでに存在しているから,かつて自分を苦しめた母親を,対等な立場で眺めることができているんだ. クロムのほうも,物語前半では とても落ち着いた優等生として描かれているんだけど,それは母親を助けて家計を支えているという事実がよりどころになってるはず. つまり,もうクロムもチャーミーも,子どもじゃなくて大人なんだよな.

チャイナを支えられる人は,そういう「大人」な立場をもってなきゃいけないものだろうと思う. 母親との関係に問題を抱えたチャイナには,母親以外によりどころになれる大人が必要だろうからね.

……でも,それだけじゃダメなんだよな.

チャイナがクロムに魅かれ,親近感をもち, 「はじめて男の子に自分から触れたいと思った」 のは,クロムが自分が子どもであることを思い知り,深く傷ついたときだった. 落ち込み しょげたクロムを見て,チャイナは明らかに救われている. それは 「かわかない傷をもち,どこかかわった容姿」 のチャイナに,はじめて隣人ができたということ,なんだよね.

じつのところ,このことはチャイナにとってきわめて重要な癒しであると思う. というのは,私の個人的な思いではあるけれど,「大人」 の立場からの共感,理解ってのは,傷をもつ子どもに対する本質的な共感にはならないと思うからだ. たとえかつての自分が同じ立場にたったことがあったとしても.

大人が子どもを理解することってのは,ほんとうは理解ではなく誤解なんじゃないかな,と私は考えている. どのような種類の 「理解」 であったとしてもだ. だって大人は,けっして揺らがない立場に立って,そのうえで昔を思い返しているにすぎないわけでしょ? 自身ではけっして,子どもが直面している問題を抱えず,傷を傷まず,悩みを持っていないような 「理解」 を,ほんとうに理解だと言えるのか? チャーミーはかつての自分のことのようにチャイナの痛みを 「理解」 できるだろう. だがチャーミーはもはや,そうであることが少しも痛くないのだ. そんな理解が,そんな共感が,どれほどの癒しをチャイナに与えられるだろうか.

大人がその立場をけっして揺らがさないことは,子どもを支えるために必要であることは間違いない. ただ,傷を抱えこんだ子どもに対して,大人はけっして癒しを与えられないだろう. 癒しは,同じ傷を痛み,同じ悩みを抱えこんだ,同じ子どもだけが与えられるはずなんだ.

支えと癒しをもらい,また相手に癒しを与えることができれば,いつしかチャイナはライラを対等な人間として眺めることができるようになるだろう. そのときチャイナはライラを 「赦す」 ことができるかもしれない. それがすなわち,揺るがない拠り所を手に入れ,大人になるということなのだ.

…….

そんなチャイナを見たいと願いつつ,ただやっぱり,大人になって子どもの傷を忘れていくことに寂しさを覚えてしまう自分を罪深いものだと思う. 大人になるということは,ほんとうは子ども時代に負った傷が癒えるということではないのだ. ただ,傷はそのままに,それを痛みとは感じなくなるほど感覚が鈍くなるというだけのことにすぎない. 実はそれこそが,揺るがない拠り所を得て大人になるということの,ほんとうの意味なのだろうと思う. 大人になったチャイナは,傷の痛みを生々しく感じることはなくなるだろう. だがそうなったチャイナが,かつてのライラのように,するどく痛みを感じる子どもを傷つけないという保証はどこにもない. そこからまた新しい「ラビット・ハンティング」が始まるかもしれないのだ.

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by LIBlog | 2011-07-05 21:23 | マンガ・本

おすすめできるかどうかは分からないけど私が何度も何度も繰り返し見てるTED talks 6本

【すごいプレゼン】TEDを初めて見る人におすすめの10本 - NAVER まとめ
TEDとは世界の叡智が集まる極上のカンファレンスです。講演の模様を録画した動画アーカイブは質も量も充実していますが、正直どれから見ていいものか迷ってしまうと思います。ここではTEDを初めて見るという方におすすめの10タイトルをご紹介します。

これは良いまとめ.

少し前までは私も むやみやたらとTED talks日本語字幕版を見ていた. たぶん300~400本くらいだった時までは,少なくともすべてのtalkを,一度はクリックしたことがあったはず. 最初から最後まで見たのはそれほど多くなかったけど.

でも最近は ちょっと食傷気味で,新しく加わったtalkもあまりチェックしてない. それでも以前と同じくらいtalkを聞いてはいるんだけどね.

というのは,気に入ったtalkをiPodに入れて,単純作業をしているときなんかにひたすら何度も何度も只管聞き続けているのだ. 気に入った,というのは内容もまあそうなんだけど,声質や語り方が好みであるというきわめて個人的な嗜好がいちばん強く働いている. そうじゃなきゃ飽きてしまうからね.

私はどうも,男女問わず,落ち着いた声――やや低めの声で,ゆっくりめに語る――で (つまり必然的にややお年を召した方が多くなる), 癖のないアメリカ英語の話者が好みのようだ. したがって上のまとめサイトで挙げられている中では,サー・ケン・ロビンソン (イギリス英語), ダン・アリエリー (英語に癖がある) 氏などは,すばらしいtalkではあるけれど私のiPodには入ってない.

まあそんな感じで,きわめて個人的な基準で選んだ個人的な「お気に入り」talkを以下に並べてみたい.繰り返し聞くことができて (ソースは私自身だけ), 癖がなくゆっくりなアメリカ英語という点では誰かの役に立つかもしれないけれど,基本的に誰が得するんだリスト. 日本語字幕版へのリンク. タイトルは日本語版.


エリザベス・ギルバート “創造性をはぐくむには”

バリー・シュワルツ氏が語る、選択のパラドックスについて

この二本は上のまとめサイトでも挙げられているもの. 後者のバリー・シュワルツは他にも二本ほど日本語字幕付きのtalkを見ることができるけれど,このtalk, 「選択のパラドックス」 がいちばん好きだ.


マーティン・セリグマンのポジティブ心理学

きちんと心理学のトレーニングを受け,ずっとアカデミアで活躍してきた話者による,「ポジティブ心理学」というものに関するトーク. 幸福(Happy)とは具体的に何なのか――喜び(Pleasant)と一致するのか――,幸福な人生をおくるためにはどうしたらいいのか. さすがにスピーチ慣れして落ち着いているので好みである.


ドリス・カーンズ・グッドウィン:歴代大統領から学ぶこと

歴史学者による,エイブラハム・リンカーン,リンドン・ジョンソンら歴代大統領に関する話. これも 「幸福」 とは何か,みたいなところに繋がる話ではある. 原稿を用意しているだけあって,洗練された表現が多くて勉強になる.


クレイグ・ベンター:「人工生命」について発表する

伝説の生物学者による,合成ゲノムDNAを持つバクテリアをつくった報告. talkというより いわゆる記者会見. これを選ぶのは個人的な関心が強く出ているけど,この人,天才的にブッ飛んでる発想とは正反対に,非常に落ち着いた語り口なのでやっぱり好みである.


アル・ゴア「気候危機の回避」

内容の話は置いておこう. とにかくこの人はプレゼンがうまい. この人もほかに2本くらいTEDでtalkしているけど,どれもうまい. クリントンもTEDでtalkしているけど,内容は別にしてプレゼンテーションだけで考えるなら勝負にならんくらいだと思う. 非常に勉強になる.


とりあえずはこんな感じかな. ただここら辺はぜんぶ,あんまり新しいtalkじゃないのよね. TED talks日本語版は今でもどんどん新しいtalkが追加されているけど,最近のはあまりチェックしてないから分からないのだ. 追加日ごとにオススメしてくれるまとめサイトとか,どっかにないかなあ.


関連記事:

英語初級者向け TED talks

英語初級者向け TED talks その2

TEDで宇宙に思いを馳せる

TEDで海中散歩

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by LIBlog | 2011-07-04 20:20 | 動画サイト関連

「乙嫁語り」3巻 生活,言語

各所で評判の,森薫先生の「乙嫁語り」3巻は評判どおりに面白かった.


乙嫁語りといえば,森先生の異常な愛情の一端が垣間見られる作画風景 (→森薫「乙嫁語り」の現場から その1:下書き) でも明らかな,圧倒的な描き込みだよなあ. 今巻は衣装や動物などに加えて,なんといっても料理! これが抜群にうまそうでやばい. 作者本人に料理させる謎企画なんかもやられてたりして(→コミックナタリー - [Power Push] 森薫「乙嫁語り」. ちなみにこの記事は最後の方が白眉だと思う). まあやっぱり,なじみの薄い中央アジアの遊牧民たちの生活を見せてくれること,それも自分自身がそこに入り込んでいるかのように生き生きとした姿を描き出してくれていること,ってのがこの作品のいちばんの面白さなんだろうなーと思う.

その水先案内人の第一人者が,イギリス人の研究者にしてどこか憎めないちょっと抜けた男・スミス氏なわけで. まさか彼に物語の焦点が当たってくるとはねえ. ロマンスの続きは,たぶん帰路までおあずけだと思うけど.

彼を巡るこの一件でも,遊牧民たちの生活習慣と,ヨーロッパ人 (というよりスミス氏の場合は現代人と言った方がよさそうだが) のそれとの違い,共通点,なんてなところがあからさまになっていて面白い. 遊牧民たちもわれわれと同じような喜怒哀楽を持ち,しかしその生活環境の中で何を当然と思い,何を慣習としているかは驚くほど違う. それがまた面白いのよねえ.

──────────

ところで,もうひとつ面白いと思ったのが,これほど遊牧民との生活習慣の違いにとまどい,興味の赴くまま調査を続けるスミス氏だけど,彼がなんの問題もなく遊牧民たちとコミュニケーションを取っていること. よく考えると これはちょっと不思議だ.

自分も外国語を勉強しているが,言葉ってのはすごく生活や環境や宗教や慣習や……などなどと密接にからんでいて,きちんと対応する訳語が自国語に見つかる方が珍しいくらいだ. たとえ似たような生活を送っていたとしても,そこにいたる歴史的経緯は違うわけだしねえ.

ところがスミス氏は,遊牧民たちが話す言葉を深く理解しているだけでなく,かなり細かいニュアンスまできちんと読みとってる. これってそんな簡単にできることじゃないと思うよ. だって生活や習慣や……は大きく違っているのに,言葉だけほとんど完璧に通じてるってことだからねえ.

まあ,生活やらなにやら……の紹介をしていくのに,言葉まで通じないような描写をしちゃうと読者が混乱するかも,みたいな配慮かもしれないけど,そうならば読者が慣れた後には,ひょっとしたら言語の違いなんかもクローズアップされてくるかもね.

なんにせよキャラクターも絵も背景も「間」も,なにもかもが好きな「乙嫁語り」. 続きもとっても楽しみですな.

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by LIBlog | 2011-07-01 20:40 | マンガ・本