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「疾走感」あふれるニコマス動画,ということでいくつか.

ニコマス ブログ大喜利第1回 『疾走感』 ただそのために/ウェブリブログ

ニコマスブロガーではないんだけど面白そうなので参加させていただきたく.

というより,単独でエントリ立てるほど書けることがないんだけど好き,ってな動画について,「お題」をいただけると,そのお題に沿ってなにか書けるんじゃないかっていう感じで.

たぶん私はすべての参加者のなかでニコマスの人としてはダントツに薄いだろうなーと思うけど,まああまり気にしない方向で.

まずこちら.


……疾走感? というかショートカットされて勝手にゴールテープを切られてた,って感じ?

この人のシリーズはかつて一世を風靡しただけあって,どれも腹筋崩壊必至なのでぜひ. あんまり動画見るヒマがないような忙しい人でもOKってのがいいですね!


つぎにこちら.


シビれます. ちはやちゃんと一緒にエキサイトして,キックバイクに乗って画面の向こうまで飛んで行きたくなること請け合い.


みっつめ.


真の魅力が豪速球で伝わってくる こちらの作品で. なんだろうなあ,寄り道なんかせず,脇目もふらず,まっすぐストレートにこちらに向かってきてくれるような感じがいいですね. ためらわずに全身で,それも前のめりで彼女を受け止められるような,そんな人になりたい.

ニコニコらしい弾幕もコメントアート職人も健在ですな.


さいごに.


たぶん一番たくさん見てるニコマスPV系動画じゃないかなあ.

しずかに,期待に胸をふくらませながら始まって,徐々に,どんどん,ガンガン畳み掛けてくるのが最高に気持ちいいのよね. 疾走感,とはちょっと違うのかもしれないけど,なんだろう,加速感? アクセル踏み込んでる感じ. 最後までくるともう圧倒されてしまって,真っ白になって,ああ気持ち良かったなあ,と満足感に浸ることになるのだ. カタルシスとは,こういうことさ.


というわけで,マイリストをたどりながらお題に当てはまりそうな動画を四本ほど選んでみました.

ノベマス・架空戦記以外のニコマス動画についてなにか書いたのは初めてですが,うん,これはなかなか楽しいですね.

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by LIBlog | 2011-10-12 23:02 | 動画サイト関連 | Comments(2)

ぷよm@s part26での千早の「変化」について

ぷよm@s part26 公開から一日たち,少しずつ興奮が落ち着いてきたので,あらためて感想をば.


いやー,今回はもうまぎれもない神回でしょう.

え? 毎回そう言ってるって?

う,いや,まあ,そうかもしれないですが,うーん,じゃあ今回は個人的神回ということで. だってもうホントにすばらしかったんだもん.

そんなこんなを,格納先にネタバレ込みで (ムダに長く) 書いてみた.

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by LIBlog | 2011-10-10 19:15 | 動画サイト関連 | Comments(0)

ぷよm@s part26

そんなわけで,鱈Pスペシャルプレゼントで一日前倒しでの,ぷよm@s part26の公開です!


…….

………….

………………なんでしょう. なんというか,こんな幸せな気分でいいんでしょうか.

素晴らしいイラストの数々,ギリギリの熱い戦い,いずれ劣らぬ素晴らしさでした. しかしなんといっても, ちーちゃん,律子さん,ふたりっきりのあの時間が良かったですねえ.

ああ,あの,千早とプロデューサーが一心不乱に,ぷよぷよの上達のために費やした時間は,千早にとってとても大きく,そして大事なものになったんだ,と. そんなことが垣間見えて,ほんとに幸せな気分になりました.

とおくpart11の,最後のあのセリフなんかが浮かんできたりして,part14のあの独白なんかが思い起こされたりして,いやーほんとたまらないですね,これは.

…….

ま,とりあえず今はもう,たまらない気分だと言うにとどめておいて,少しばかり落ち着くまで待とうかな.

とにかく,すばらしい,ほんとにすばらしい回でした. 満足,満足.

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by LIBlog | 2011-10-09 21:21 | 動画サイト関連 | Comments(0)

ぷよm@s一気見生を見たよ

本日10月9日,part26発表を翌朝に控え,ぷよm@s全シリーズを一気に見てしまおうという凄まじいニコニコ生放送が行われました.

【9時間】ぷよm@s一気見生​​ 2枠目【耐久】

【9時間】ぷよm@s一気見生​​ 2枠目【耐久】

主催されたMOTさん,おつかれさまでした.

私自身,第一部第二部を見返すのは久しぶりでして,あらためて美希や千早のかっこよさに惚れ直しましたねえ. ファンのみなさまとリアルタイムでコメントをやりとりしながら視聴するのはたいへん楽しいものでありました.

さて,part26では千早と律子さんがついに直接対決,ということになりそうです.

それを控えて,この二人について,シリーズを見直しながら持った印象をすこしばかりメモしておきたいと思いました.

ネタバレなので格納ー
(以下はpart26視聴前に書いた文章です)

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by LIBlog | 2011-10-09 20:33 | 動画サイト関連 | Comments(0)

過去と現在をつなげてしまう,ということ

下手にニコマスを上げて火傷をした場合、どのような応急処置、治療をすればいいですか? - 内科部長(循環器)インタビュー

内科部長(循環器)氏へのインタビュー. ひと月くらい前のやつかな? 最初読んだとき妙に心に残って,たまたま今回読み返してまた心に残ったので,これについてちょっと考えてみます.

印象的だったのが,この考え方.


未来への不安が、今この瞬間の痛みを作る。今この瞬間の痛みが、過去を耐え難いものにする。つまり人の認識の中では時間は未来から過去へと流れるのです。(太字強調は引用者による)

ということで,ここで氏がおっしゃっているのは主観的時間は未来から過去へと流れる,という,一見したところ直感に反した時間の捉え方です. 客観的時間は過去から未来へと流れ,主観的時間は未来から過去へと流れる,とも言えるかもしれません.

ですが,ほんとうに主観的時間は未来から過去へと (一義的に) 流れるのでしょうか? 客観的時間と同じく過去から未来へと流れることはないのでしょうか? どうも私にはそうは思えません. 過去のあれやこれやのできごとが,いま現在の心の痛み (あるいは逆に幸福感など) を生んでいる,という認識をもつことはありうることなのではないでしょうか.

いや,ありうるというよりも,ふつう人はそのような認識を持っているのではないかと私には思えます.

したがって,上のような時間の捉え方というのは,もうすこし正確に言うとこのようなものになるのではないでしょうか. 主観的時間が未来から過去へと流れるのは過去の出来事の位置づけが変わる瞬間である,それ以外の場面では,主観的時間といえども過去から未来へと流れるのだ,と.

すなわち,過去のできごとの解釈の変更は未来→現在→過去という方向でしかなされず,位置づけ (解釈) の変更が起こったその後では,その位置づけ (解釈) をもとにした主観的な時間が過去から未来へと流れる,ということなのではないでしょうか. いまのところ私は氏の時間の捉え方について,このように理解しています.

内科部長氏のあの文章が基本的には過去の出来事の解釈の変更をうながすもの (治療的対話) である以上,「認識の中では未来から過去へと時間が流れる」 と言い切ることは正しいと私は考えます. しかし,どのような局面であっても正しいかと言われると,おそらくそうではないでしょう.

…….

だいたい以上のようなところが私の理解,ということで,つぎにこれを読んで思った,ひょっとしたら上の文章とは何も関係ないかもしれないことをつれづれなるままに.

あるできごとは,それよりあとの観点からいくらでもその解釈を変えることができる,そのできごとの理解は可変である,ということがこの話の眼目だと思うのですが,個人的には,そこにはある種の暴力性を感じなくもないです.

なんか失敗をしでかしたことがあったとして,あとから考えて,その失敗は現在の成功の糧になったと位置づけることはできるでしょう. でもそう考えたとき,その失敗は現在の成功の 「ためにあった」 ということにならないでしょうか. 過去の解釈を現在の都合で変えることというのは,過去の自分を現在の自分のしもべにするということになるのではないでしょうか.

いや,だからどうしたと言われると,べつにどうもしないんですが……. ただ,心に引っかかるものがないわけでもないんですよね.

もちろん,こんなことは,私が過去の出来事がつらくてたまらないという状況にないから言えることではあるんですけど.

基本的に過去の自分というのは他人だと思います. 赤の他人とは違って,リアルに過去の心情を思い起こすことはできるけど,それは現在の観点からのものだから,本来そうであった心情とは確実に違うはず. なまじ思い出すということができてしまう以上,赤の他人よりタチが悪いとも言えるかもしれません.

私も過去を思い起こしてみると,いまでも 「うわぁっ!」 と思わず声を上げたくなるような失敗がいくらでも出てきます. あの時の自分は若かった. なにも分かっていなかった. 調子に乗っていた. ……ですが,そうやって否定している過去の自分は,今の観点から評価を与えている自分にすぎません. それはいまの主観から捉えた自分であり,そのときの自分そのものとは別のなにかであるに違いないでしょう. 別に否定に限らず肯定するにしたって,何をするにしたって,想起する過去の自分は,過去の自分そのものとは違うもののはずです.

でも,それを別ものであると心から自覚することは,やっぱりできないですよね. だってその過去の自分がいまの自分をつくっている (という解釈のもとに,通常はいる) わけですから. だからどうしたって,過去の自分は,いまの解釈のもとに,暴力的な切りとり方でしか思い起こすことができないわけで.

時間が未来から過去に流れるものだとしても,過去から未来に流れるものだとしても,いまの自分とは本質的には無関係なはずの 「本来の」 過去の自分は,いまの自分からはもうどうやっても届かないものなんだなあ,と考えて,少しばかり寂寞感をおぼえるのでありました.

なんか,自分ほんとにめんどくさい寂しがり方をしますねえ. 自分で書いててイヤになってきましたよホントにw

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by LIBlog | 2011-10-04 20:57 | 雑記 | Comments(2)