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ぷよm@s part29

ぷよm@s part29は,16分強の中にエンターテイメントがギュッと濃縮されていて,とても楽しい回だった.



以下,ネタバレ込み感想を.

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by LIBlog | 2012-04-23 20:51 | 動画サイト関連

魔法先生ネギま! 裏の英雄,月詠

マガジン本誌では堂々の完結を迎えた,赤松健先生の 「魔法先生ネギま!」. そこに敵役として出てくる 月詠(つくよみ) が好きだ,という話.

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月詠は,ネギたちの敵でありライバルでもあるフェイトらのパーティーメンバーの,二刀を遣う京都神鳴流の剣士. 同じ流派の 桜咲刹那 のライバルとして,物語の最初期にあたる修学旅行編から,物語の最終盤のフェイトらとの最終決戦にいたるまで,何度となく剣を交えてきた.

最終巻である38巻はまだ発売されていないけれど,37巻で刹那にやられた月詠は もう物語には再び登場しないであろうから (あるいはひょっとしたら丸くなったキャラとして下手に再登場してしまう前に),月詠はあそこで死んだものとして,彼女について思うところを少しばかり書きたい.

月詠は初登場以来一貫して,自分はただ戦いにしか興味がなく,世界が滅ぶとかいうことはどうでもいい,と語り続ける. 最初期は 「ウチはただセンパイと剣を交えたいだけ」 と,最終盤は 「我が求むるはただ血と戦いのみ」 と.

社会や世界などといった大きな問題に関心を寄せないキャラクターは,エヴァンジェリンやラカンなど他にもたくさんいる. また 「熱い戦い」 だけを追い求めているキャラクターも月詠だけに限らない. たとえばネギパーティーの 古菲 (クーフェイ) がかつて言っていた, 「我只要 和強者闘 (私が望むのは ただ強者との戦いのみ)」 というセリフは,月詠の 「我が求むるはただ血と戦いのみ」 を思い起こさせるものがある.

ところがしかし,この一見よく似た二つのセリフには きわめて重大な違いがある. 「血」 を求めるか否か,だ. これはわずかではあるが決定的な違いだろう. 「血」 を求める願望は,まともな社会で満たすことは難しい. いままでネギたちの前に立ちふさがった敵たち――天ヶ崎千草やフェイトや始まりの魔法使いなど――は,いずれもネギたち,または社会に,受け入れられる可能性を残している. あるいはのちのち仲間に,ひょっとしたら友達に,なれる可能性すらある (実際,フェイトはそうなった). でも月詠には その可能性はない. 少なくとも 「血」 を求めることをあきらめなければ,彼女は決して受け入れられはしないだろう.

ところで,そもそも月詠はなぜ 「血」 を求めるのだろうか.

ひとつの解釈は, 「相手を倒す (=血を流させる) ことで,自分が強いということを証明したい」 というものだろう. たぶん桜咲刹那は,月詠のことをそう理解しているのではないかと思う. 最終決戦前の以下の対話はその証拠となるだろう.

「力の為に 魔に身を委ねるとは ・・月詠!」  「力の為? ウフフ ・・違います センパイを 心ゆくまで 味わう為ですわ」

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そしてこの戦いが決着するときの対話も,おおむねそのセンに沿ったものだ. 「なにものにも囚われず自由である者は,守るべきものをもつ者より強い」 という月詠をはねのけ,刹那は言う. 「それは間違っている,守るべき者が芯をくれるからだ」 と.

ネギま!という作品の主題となっているメッセージは,「わずかな一歩を踏み出す勇気を持て」 に加え, 「仲間を信頼せよ」 というものだろう (もちろん両者は互いに結びついたものであるけれど). ここで刹那があのセリフとともに月詠を打ち破ったことは,「仲間を信頼せよ」というこの作品のふたつめの主題を,裏から支えるエピソードになっている.

……と,言いたいところだが,本当にそうかなあ? 月詠はただ強さを得たいだけなのか? 前掲のセリフで自らそれを否定しているじゃないか. 月詠はじつは単にサディスティックな嗜好を持っているだけ,と理解することはできないだろうか. もしそうなら,月詠はいわゆる勝敗には興味がなく,戦いそのものと,それによって相手に苦痛を与えることだけに興味があるということになる.

この理解が正しいならば,月詠は最後の戦いにおいて,じつは負けていなかった,と言えるだろう. あの最後の戦いで,「血」 と 「戦い」 のいずれも,心ゆくまで堪能できたはずだからだ. 最終決戦,刹那と全力で戦い抜き,そしてあの妖刀で刹那をいたぶる月詠のあの恍惚とした表情からは,興奮と満足だけが読み取れるじゃないか. あの最終決戦では,月詠は求めるもの (戦いと苦痛) を手に入れ,刹那もまた求めるもの (最終的な勝利) を手に入れたのだ. おお! これはWin-Winの関係じゃないか!

ここで (私にとって) 大事なことは,月詠が 「血」 を求める根底に,社会や世界を否定したい心情があったりはしない,ということだ. 月詠の行動原理の根本は,憎しみや怨みや恨みや妬みや嫉みなどではない (と私は思いたい). ただ単に,もともとそういう人であっただけなのだ (と思いたい!).

そして私は,力と強さを求め続けて力の前に敗れ去った月詠ではなく,社会や世界に復讐しようとして膝を屈した月詠ではなく,ただただ自らの嗜好であるところの血と戦いのみを求め続けた月詠をカッコイイと思うのだ. なぜならそのような月詠からは,誰ひとり認める者がなくても,それどころか社会から,または世界から否定されつづけても,幸福であるということがありうるのだ,ということが伝わってくるからだ. ただその点においてだけ,月詠は英雄である,とすら言いたい.

志を同じくする仲間とともに,あるいはひとり孤独に,正義のために戦い人々を救う英雄を 「表の英雄」と呼ぶとしたら,一人孤独に戦い人々を苦しめる英雄 (?) は 「裏の英雄」 とでも言うほかはないだろう. 月の名が付された月詠には裏がよく似合う. 月詠は誰かを救ったりしない. 味方を,仲間を,友人を必要としない. そして誰からも認められない. それでも幸福な人生というものがありうるということをそこから読みとり,そのことで癒され,救われることもあるのだ. そういう読者に対してだけ,月詠は英雄たりうるのだ.

ネギ,ナギ,フェイト,ゲーデルら 「表の英雄」 は,人を教え,導く. 彼らの行動に人は感化され,動く. 月詠のような 「裏の英雄」 は,人を動かさない (もし人を動かすならば,そのことは否定的な文脈で描かれるしかない). ただ,表の道からこぼれた人を,賞賛され肯定される生き方を諦めた人を,なぐさめ癒すだけだ. 表の英雄は多くの人に囲まれて正義を貫く. 裏の英雄は孤立してでも己の願望にこだわる. それゆえに 「裏の英雄」 たる月詠の生き方が肯定的に描かれることはない. 戦いに明け暮れ,人々を苦しめ続けて死んだ月詠の人生は幸福なものであった……という描かれ方は決してされない. にもかかわらず,実は月詠の人生は満たされた幸福なものだったのだという読み方をし,そこからひっそりと癒しを受け取る者もいるのだ. そう伝えてくれる人を必要とする時もあるのだ. そう語りかけてくれる物語を必要とする場合もあるのだ. ただそういう時にだけ,ただそういう人に対してのみ,月詠はヒーローになってくれるのである.
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by LIBlog | 2012-04-16 18:56 | マンガ・本

ジュンク堂新宿店 閉店に寄せて

かねてより知らされていたことではあるのだが,ジュンク堂新宿店が2012年3月31日をもって閉店してしまった.

「書店が果たさねばならない役割がある」――ジュンク堂新宿店“最後の本気” - ITmedia ニュース

最後に残されたメッセージが,わずかながら望みをつなぐに足るものであるというところが救いではある. ……救いではあるのだが,やはり寂しい気持ちに変わりはないのだ.

東京にいた学生時代,書店に立ち寄るためだけに,休日になるとよく新宿に行っていた. 青山ブックセンター,紀伊國屋書店と,丸一日を潰せるだけの大きな,そして楽しい書店が集まっていたからだ.

だが悲しいことに,いつしか青山ブックセンターは撤退してしまった. 知らずにルミネを登っていった時のショックは,いまでも忘れがたい.

それでも新宿は楽しい場所であり続けた. ジュンク堂があったからだ (昔からあったような気がしたが,Wikipediaを見ると新宿店はどうやらけっこう新しいようだ. 記憶なんてあてにならないものだな). 東京を離れてからも,近くに立ち寄る機会があるたびに,たとえ30分だけであっても必ずジュンク堂新宿店を尋ねることにしていた.

ジュンク堂が閉店してしまったら,新宿にはもう遊びに訪れることはないかもしれない.

閉店前,さいわいにも3月にいちど東京を訪れる機会があった. 当然のように新宿まで足を伸ばしてジュンク堂に立ち寄った. ああこれが最後なんだな,と思いつつ,いつものように両手いっぱいに買い物をした. よく 「本は買わずに後悔するより買って後悔しろ」 と言うが,ジュンク堂では買わずに後悔したことはない. あそこは読むのか分からないような本まで買わせる,謎の魔力に満ち満ちた場所だったのだ. ジュンク堂では逆に 「本は買って後悔するな,買わずに後悔しろ」 みたいな格言が必要なのではないか.

それにしても,青山ブックセンター,ジュンク堂,西武新宿駅前の書店(名前忘れた)……. 新宿のお気に入り書店はどうしてみんな閉店していってしまうのだろう.

もちろん書店なら,大型書店に限っても他にもいろいろある. 紀伊國屋書店は二店舗あるわけだし,青山ブックセンター跡地のブックファーストだってある. 高田馬場まで足を伸ばせば芳文堂もある. ……そうではあるのだけど,学生時代から通い慣れていた場所というのは,そのときどきの思い出があり,そしてそれにともなって格別の思い入れがあるものなのだ.

そういう場所がなくなっちゃうのは,やっぱり,どうにも寂しいもんなんだよねえ.
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by LIBlog | 2012-04-03 20:20 | 雑記