憎み切れない野心家と、救い切れない楽天家の話。

ガルシアPの 「とのばな」 シリーズ,第20話が投稿されています.



【ニコニコ動画】憎み切れない野心家と、救い切れない楽天家の話。

“Coup d' Glas” on your heart. ‐ ニコニコ動画(原宿)

社長まわりの過去のお話. このシリーズでは現在進行形の物語もさることながら,ここに至るまでに黒井社長や小鳥さんらのあいだに何があったのかということもたいへん気になる私であります.

本来ならば,じっくりと過去回を見て,何が明らかにされたのか,何がまだ明らかにされていないのか,などをまとめるような記事がありますと,世のため人のためたいへん有用であると思いますが,私にはそういうものは書けません. 資質的にも,状況的にも…….

かわりに,ああそういえばそうだったな,と視聴しながら頭に浮かんだことを,思いつくまま,少しばかり記しておきたいと思います.

以下,ネタバレ格納.

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# by LIBlog | 2013-08-08 12:45 | 動画サイト関連 | Comments(2)

ニコマス大喜利 『爽快感』

ニコマス大喜利第4回 『爽快感』!:そんなことよりアイマスの話をしようぜ - ブロマガ

最近はgouzouさんの大喜利とぷよm@sに反応するだけのbotと化しています. まあいっか. 人生とは反応することと見つけたり.

とはいえ今回は締め切りギリギリで考えている余裕もないので,ぱっと思いついた好きな作品を.

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【ニコニコ動画】【アイドルマスター】EVERYDAY IS A WINDING ROAD



下井草Pの超有名作です.

「爽快感」で連想すると第一回の「疾走感」と被るので,もうひとつのキーワード「夏」でまっさきに思い出したこちらを挙げさせて頂きます.

いやあ,なんか,いいですよね.こういう旅.
広大な地を,地平線に向かってどこまでも行ってみたいです.

でもよく考えると,真夏はちょっとアレですかね…….
アメリカ南西部は暑すぎて,美希といえども日なたでは寝ていられないと思うんですけどねw

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……てなことを書いている内にもうひとつ作品が浮かびました.

【ニコニコ動画】【アイドルマスター】ミツボシ☆☆★を叩いた。



ちゃb……ドラマーPの最近の作品です.

一時期すっごいリピートしてました. いまでもよく視聴します. 名曲「ミツボシ☆☆★」にドラマーPの演奏が加わって,すっごい気持よくなれるんですよ. サビ前後の「スッパーン」とか最高ですよね.

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……という感じで,駆け足でしたが爽快感というキーワードで連想した作品ふたつでありました. 次回のお題はなんだろうなー(どこまでも受け身).
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# by LIBlog | 2013-06-16 23:00 | 動画サイト関連 | Comments(0)

 『新たな門出にふさわしいアイマス動画』

ニコマス大喜利第3回 『新たな門出にふさわしいアイマス動画』 :そんなことよりアイマスの話をしようぜ - ブロマガ

すごろくさんの記事を読んで,衝動的に参加したくなったで候.

というわけで,私からはこちらの作品をおすすめさせて頂きます.

【ニコニコ動画】【i-Fest@!】バイバイ、アイドル



すっきりぽんP作,「バイバイ、アイドル」

すっきりぽんP作品といえば,軽妙な言葉づかいが心地よいテキスト,くるくる変わる表情が楽しい立ち絵.そして抜群のユーモアと,これまた群を抜いたアイドルの可愛さ,そしてある年齢以上にはたまらない懐かしさの小ネタもあいまって,大人気を博しておりますわけでして,同氏はいまさら私が紹介するまでもないニコマス界の巨人のひとりであります.

代表作 アイドル寮空室あり! の連載をはじめ,単品あるいは合作,またはイベント参加作などなど,いずれ劣らぬ名作がマイリストから辿れますので,まだご覧になっていない方がおられるならば,ぜひぜひ今すぐ見に行くべきでありましょう.

さて,名作ばかりが並ぶすっきりぽんPの作品でありますが,なかでも私にクリティカルヒットするものといえば,gouzouさんのお題にありますような 「門出」 を描いた作品であります.

前述の 「アイドル寮空室あり!」 は,見方によっては現在までの連載すべてが 「門出」 を描いたものと言えるかもしれませんし,また最新作にして大人気作であります 「うちのクラスの天海さん」,某名作とのつながりがオッサン心をくすぐる 「娘がアイドルになると言い出した。」 などなど,どれをとっても笑いあり,涙あり,ああ春香さんは限りない未来に向かって歩き出そうとしているんだなあ,私も明日に向かってがんばらなきゃ,と元気がもらえる作品ばかりなのです.

できたらこれらすべての作品をお勧めしたいところでありますが,やはりピンポイントで挙げさせていただくのがインパクト的によろしかろうと思い,あえてここでは一作に絞って 「バイバイ、アイドル」 を勧めさせていただきたく存じます.

新たな道に身を投じるということは,さまざまなありえた選択肢の中から,ただひとつを選ぶということでもありましょう.

選んだ道をすすんでいく中で,多くの失われた可能性が,もしかしたら将来あなたを後悔の渦に誘い込むかもしれません.

また,未知なる世界に足を踏み入れることは,つねに不安をともなうものでもありましょう.

そんなとき,頼りにできるのは,あなたがいままで積み重ねてきた経験.それは身を守る武器であるのと同時に,先の見えぬ中,エイヤッと背中を押してくれるきっかけを与えてくれるかもしれません.

「バイバイ、アイドル」 の登場人物たちも,あなたと同じ.

直近に迫られた選択のいずれを選んでも,後悔するかもしれません.先も見えません.不安と,葛藤.

しかし,そのまま視聴を続ければ,この物語で彼女たちがつかむ答えの先に,後悔はないであろうと,あなたは確信を持つでしょう.

彼女たちには支えてくれるものがあったからです.仲間と,そして今までの経験と.

なんだか,自分にもできそうな気がしてきませんか? 晴れやかな気持ちで,空を見上げながら,新たな道に飛び込んでみようと,思えてきませんか?

私も,新たな門出というにはちょいと年を重ねすぎましたが,未知なる世界に進むときはいつも,不安と葛藤に押しつぶされそうな気持ちを抱えています.

でも,彼女たちを見ていると,やるしかないかあ,と自分を奮いたたせることも,またそれほど難しくはないのです.

新しい道に進まれる方に,心からお祝い申し上げます.
あなたのこれからの健康とご活躍を,お祈り致します.

できたら,あなたに,そして 「バイバイ、アイドル」 の彼女たちに恥ずかしくないように,私も精進していこうと思います.
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# by LIBlog | 2013-03-26 12:49 | 雑記 | Comments(0)

ぷよm@s part31

前回のpart30から約半年の時を経て,ぷよm@s part31が投稿されました.


……. いま忙しくてとても感想を書く時間がとれないので,一言だけ.

おもしれええええ!

いやー,始めっから終わりまで,すばらしいエンターテイメントですねぇ. 楽しい,楽しい.
ああ,ぷよm@sが好きでよかったなぁー.

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# by LIBlog | 2012-12-11 23:29 | 動画サイト関連 | Comments(2)

ぷよm@s part30

ぷよm@sシリーズ,とうとう大台のpart30まで来ましたね!

【厨二ノベマス】ぷよm@s part30【厨二架空】 ‐ ニコニコ動画(原宿)



ネタバレ込みの感想を,格納以下でかるく書きたいと思います.

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# by LIBlog | 2012-06-23 21:52 | 動画サイト関連 | Comments(0)

ぷよm@s part29

ぷよm@s part29は,16分強の中にエンターテイメントがギュッと濃縮されていて,とても楽しい回だった.



以下,ネタバレ込み感想を.

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# by LIBlog | 2012-04-23 20:51 | 動画サイト関連 | Comments(0)

魔法先生ネギま! 裏の英雄,月詠

マガジン本誌では堂々の完結を迎えた,赤松健先生の 「魔法先生ネギま!」. そこに敵役として出てくる 月詠(つくよみ) が好きだ,という話.

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月詠は,ネギたちの敵でありライバルでもあるフェイトらのパーティーメンバーの,二刀を遣う京都神鳴流の剣士. 同じ流派の 桜咲刹那 のライバルとして,物語の最初期にあたる修学旅行編から,物語の最終盤のフェイトらとの最終決戦にいたるまで,何度となく剣を交えてきた.

最終巻である38巻はまだ発売されていないけれど,37巻で刹那にやられた月詠は もう物語には再び登場しないであろうから (あるいはひょっとしたら丸くなったキャラとして下手に再登場してしまう前に),月詠はあそこで死んだものとして,彼女について思うところを少しばかり書きたい.

月詠は初登場以来一貫して,自分はただ戦いにしか興味がなく,世界が滅ぶとかいうことはどうでもいい,と語り続ける. 最初期は 「ウチはただセンパイと剣を交えたいだけ」 と,最終盤は 「我が求むるはただ血と戦いのみ」 と.

社会や世界などといった大きな問題に関心を寄せないキャラクターは,エヴァンジェリンやラカンなど他にもたくさんいる. また 「熱い戦い」 だけを追い求めているキャラクターも月詠だけに限らない. たとえばネギパーティーの 古菲 (クーフェイ) がかつて言っていた, 「我只要 和強者闘 (私が望むのは ただ強者との戦いのみ)」 というセリフは,月詠の 「我が求むるはただ血と戦いのみ」 を思い起こさせるものがある.

ところがしかし,この一見よく似た二つのセリフには きわめて重大な違いがある. 「血」 を求めるか否か,だ. これはわずかではあるが決定的な違いだろう. 「血」 を求める願望は,まともな社会で満たすことは難しい. いままでネギたちの前に立ちふさがった敵たち――天ヶ崎千草やフェイトや始まりの魔法使いなど――は,いずれもネギたち,または社会に,受け入れられる可能性を残している. あるいはのちのち仲間に,ひょっとしたら友達に,なれる可能性すらある (実際,フェイトはそうなった). でも月詠には その可能性はない. 少なくとも 「血」 を求めることをあきらめなければ,彼女は決して受け入れられはしないだろう.

ところで,そもそも月詠はなぜ 「血」 を求めるのだろうか.

ひとつの解釈は, 「相手を倒す (=血を流させる) ことで,自分が強いということを証明したい」 というものだろう. たぶん桜咲刹那は,月詠のことをそう理解しているのではないかと思う. 最終決戦前の以下の対話はその証拠となるだろう.

「力の為に 魔に身を委ねるとは ・・月詠!」  「力の為? ウフフ ・・違います センパイを 心ゆくまで 味わう為ですわ」

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そしてこの戦いが決着するときの対話も,おおむねそのセンに沿ったものだ. 「なにものにも囚われず自由である者は,守るべきものをもつ者より強い」 という月詠をはねのけ,刹那は言う. 「それは間違っている,守るべき者が芯をくれるからだ」 と.

ネギま!という作品の主題となっているメッセージは,「わずかな一歩を踏み出す勇気を持て」 に加え, 「仲間を信頼せよ」 というものだろう (もちろん両者は互いに結びついたものであるけれど). ここで刹那があのセリフとともに月詠を打ち破ったことは,「仲間を信頼せよ」というこの作品のふたつめの主題を,裏から支えるエピソードになっている.

……と,言いたいところだが,本当にそうかなあ? 月詠はただ強さを得たいだけなのか? 前掲のセリフで自らそれを否定しているじゃないか. 月詠はじつは単にサディスティックな嗜好を持っているだけ,と理解することはできないだろうか. もしそうなら,月詠はいわゆる勝敗には興味がなく,戦いそのものと,それによって相手に苦痛を与えることだけに興味があるということになる.

この理解が正しいならば,月詠は最後の戦いにおいて,じつは負けていなかった,と言えるだろう. あの最後の戦いで,「血」 と 「戦い」 のいずれも,心ゆくまで堪能できたはずだからだ. 最終決戦,刹那と全力で戦い抜き,そしてあの妖刀で刹那をいたぶる月詠のあの恍惚とした表情からは,興奮と満足だけが読み取れるじゃないか. あの最終決戦では,月詠は求めるもの (戦いと苦痛) を手に入れ,刹那もまた求めるもの (最終的な勝利) を手に入れたのだ. おお! これはWin-Winの関係じゃないか!

ここで (私にとって) 大事なことは,月詠が 「血」 を求める根底に,社会や世界を否定したい心情があったりはしない,ということだ. 月詠の行動原理の根本は,憎しみや怨みや恨みや妬みや嫉みなどではない (と私は思いたい). ただ単に,もともとそういう人であっただけなのだ (と思いたい!).

そして私は,力と強さを求め続けて力の前に敗れ去った月詠ではなく,社会や世界に復讐しようとして膝を屈した月詠ではなく,ただただ自らの嗜好であるところの血と戦いのみを求め続けた月詠をカッコイイと思うのだ. なぜならそのような月詠からは,誰ひとり認める者がなくても,それどころか社会から,または世界から否定されつづけても,幸福であるということがありうるのだ,ということが伝わってくるからだ. ただその点においてだけ,月詠は英雄である,とすら言いたい.

志を同じくする仲間とともに,あるいはひとり孤独に,正義のために戦い人々を救う英雄を 「表の英雄」と呼ぶとしたら,一人孤独に戦い人々を苦しめる英雄 (?) は 「裏の英雄」 とでも言うほかはないだろう. 月の名が付された月詠には裏がよく似合う. 月詠は誰かを救ったりしない. 味方を,仲間を,友人を必要としない. そして誰からも認められない. それでも幸福な人生というものがありうるということをそこから読みとり,そのことで癒され,救われることもあるのだ. そういう読者に対してだけ,月詠は英雄たりうるのだ.

ネギ,ナギ,フェイト,ゲーデルら 「表の英雄」 は,人を教え,導く. 彼らの行動に人は感化され,動く. 月詠のような 「裏の英雄」 は,人を動かさない (もし人を動かすならば,そのことは否定的な文脈で描かれるしかない). ただ,表の道からこぼれた人を,賞賛され肯定される生き方を諦めた人を,なぐさめ癒すだけだ. 表の英雄は多くの人に囲まれて正義を貫く. 裏の英雄は孤立してでも己の願望にこだわる. それゆえに 「裏の英雄」 たる月詠の生き方が肯定的に描かれることはない. 戦いに明け暮れ,人々を苦しめ続けて死んだ月詠の人生は幸福なものであった……という描かれ方は決してされない. にもかかわらず,実は月詠の人生は満たされた幸福なものだったのだという読み方をし,そこからひっそりと癒しを受け取る者もいるのだ. そう伝えてくれる人を必要とする時もあるのだ. そう語りかけてくれる物語を必要とする場合もあるのだ. ただそういう時にだけ,ただそういう人に対してのみ,月詠はヒーローになってくれるのである.
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# by LIBlog | 2012-04-16 18:56 | マンガ・本 | Comments(0)

ジュンク堂新宿店 閉店に寄せて

かねてより知らされていたことではあるのだが,ジュンク堂新宿店が2012年3月31日をもって閉店してしまった.

「書店が果たさねばならない役割がある」――ジュンク堂新宿店“最後の本気” - ITmedia ニュース

最後に残されたメッセージが,わずかながら望みをつなぐに足るものであるというところが救いではある. ……救いではあるのだが,やはり寂しい気持ちに変わりはないのだ.

東京にいた学生時代,書店に立ち寄るためだけに,休日になるとよく新宿に行っていた. 青山ブックセンター,紀伊國屋書店と,丸一日を潰せるだけの大きな,そして楽しい書店が集まっていたからだ.

だが悲しいことに,いつしか青山ブックセンターは撤退してしまった. 知らずにルミネを登っていった時のショックは,いまでも忘れがたい.

それでも新宿は楽しい場所であり続けた. ジュンク堂があったからだ (昔からあったような気がしたが,Wikipediaを見ると新宿店はどうやらけっこう新しいようだ. 記憶なんてあてにならないものだな). 東京を離れてからも,近くに立ち寄る機会があるたびに,たとえ30分だけであっても必ずジュンク堂新宿店を尋ねることにしていた.

ジュンク堂が閉店してしまったら,新宿にはもう遊びに訪れることはないかもしれない.

閉店前,さいわいにも3月にいちど東京を訪れる機会があった. 当然のように新宿まで足を伸ばしてジュンク堂に立ち寄った. ああこれが最後なんだな,と思いつつ,いつものように両手いっぱいに買い物をした. よく 「本は買わずに後悔するより買って後悔しろ」 と言うが,ジュンク堂では買わずに後悔したことはない. あそこは読むのか分からないような本まで買わせる,謎の魔力に満ち満ちた場所だったのだ. ジュンク堂では逆に 「本は買って後悔するな,買わずに後悔しろ」 みたいな格言が必要なのではないか.

それにしても,青山ブックセンター,ジュンク堂,西武新宿駅前の書店(名前忘れた)……. 新宿のお気に入り書店はどうしてみんな閉店していってしまうのだろう.

もちろん書店なら,大型書店に限っても他にもいろいろある. 紀伊國屋書店は二店舗あるわけだし,青山ブックセンター跡地のブックファーストだってある. 高田馬場まで足を伸ばせば芳文堂もある. ……そうではあるのだけど,学生時代から通い慣れていた場所というのは,そのときどきの思い出があり,そしてそれにともなって格別の思い入れがあるものなのだ.

そういう場所がなくなっちゃうのは,やっぱり,どうにも寂しいもんなんだよねえ.
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# by LIBlog | 2012-04-03 20:20 | 雑記 | Comments(0)

3月のライオン 人と,将棋の鬼と.

羽海野チカ先生の 「3月のライオン」7巻はとても印象的な一冊だった.



冒頭のスキンヘッド氏編から,いじめ編を経て,宗谷名人編に至るまで,それぞれがつよく印象に残った.

いじめ編は,以前,どう決着するか楽しみだという話を書いたことがあるんだけど (→「3月のライオン」 反正義の社会適応),7巻を読んで,ああこの決着の仕方はとても好きだな,と感じた.

ひなちゃんを含めて多くの人は消化不良な感じを残しているだろうと思うし (実際,あれは解決になっていないという評を見ることもある), たしかに当事者意識が強ければそうだろうなあ,と私も思う. ……思うけれど,やっぱりあの 「解決」 の仕方は私ごのみなんだよね.

社会を成り立たせているさまざまな前提 (他者への共感とか) からして,公的には絶対に受け入れられることのない願望を持つような人は,どうしても一定の数はいるものだ. というより,そういう願望は少なくない数の人の中にあって,それをかなり多く持つ人もいる,と言うべきかな.

そして,もしそういう人がそういう願望を表出させてしまえば,当然ながら否定され報いを受けるべきだ. そして,それが必然だということが伝われば,それだけでいいと私は思う. 大人ならば子供に対してそういうことを示すべきで,大人同士ならばそうなるような社会を作るように努力すべきだ. そしてそれだけでいい. そういった因果応報的なものは,反社会的な行動やその結果に対してだけ発生すべきで,そこでさらに内面から改悛を迫るってのは,個人的にはあまり好きになれないんだよね. まあある程度は仕方がないのだけど,行き過ぎるとそこに宗教とか洗脳のようなものに対する反発に近いものを感じてしまうから.

だから,担任が変わったあとのあの先生の態度は,大人としての矜持を感じさせて非常に良かったと思うし,そしていじめ編がいじめっこの内面に深入りせずに描写を終えたことにも好感を持った. それはある種,上品な決着の仕方なのだ. ただ同時に,ひなちゃんがあのいじめっこを許しがたく感じ続ける気持ちもわかる. ここで言っているような立場を貫けば,そこにはどうしたって理不尽さは残るわけだから.

まあ,だからそれは 「私ごのみの解決」,「 の限界,ということになるのだろう.

…….

ところで私にとって7巻でもっとも印象深いシーンは,最後の宗谷名人のあいさつの場面なのだ. あれは本当に凄いと思った. あの宗谷名人という人は,われわれ凡百の者とは別の世界に棲んでいるのだ,と感じさせられたからだ.

羽生善治のインタビューとかを見ていて,ああこの人は俗世から離れてるな,この世にはいないな,と感じることがよくある. あの,視線を虚空に彷徨わせながら,あくまでも穏やかに,狂気と隣合わせの世界について語る姿に. おそらく羽海野チカ先生は,プロ棋士のそういった部分をああいう形で表現してるのだろうと思う.

羽生だけじゃなくて佐藤康光とか糸谷哲郎とかのトップ棋士を見ていると,人間臭い部分が匂ってくることも もちろん多いのだけれど,それだけじゃなく,ああこの人たちはわれわれとは本質的にちがう位相で生きてるんだな,ふつうの意味での好悪や快不快なんかとは離れたところにリアリティをもって生きてるんだな,みたいな印象をうけることが多い. ただ私は,それはあの人達の純粋さとか,頭の良さみたいなものとして理解していて,それを異質なもの,異形なものとして捉える感覚はなかったんだよね.

ところが7巻最後の宗谷名人のあいさつの描き方を見て,うわ,羽海野先生はトップ棋士たちのああいうところをこういうふうに捉えるのか,こういう形でそれを表現しちゃうのか,すげえな,と思ったのだ.

あの描かれ方を見て,トップ棋士たちのあの姿が,私の中で少し意味を変えたように感じた. 同時に,はじめて彼らの凄さと,それと表裏を一体にする異形さ,というものの一端がわかったような気がした. それはプロ棋士たちのあの姿と同種の匂いを漂わせる作者だからこそ つかみ得たものなのだと思う. この捉え方,描き方は,本当にすごいと感じさせるものだった.

そんなわけで,私にとっての7巻のクライマックスはこのシーンだったのだ,ということが言いたかったのでした.
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# by LIBlog | 2012-03-30 19:46 | マンガ・本 | Comments(0)

「われ敗れたり」 勝負師の内面を渦巻くもの

米長邦雄著 「われ敗れたり ―コンピュータ棋戦のすべてを語る」 がすばらしかった.


本書は,今年1月に行われたコンピュータ将棋ソフトとプロ棋士との公式対局「電王戦」を,対局者である米長自身が振り返って記したもの. 羽生善治や渡辺明など一流棋士はみな面白い文章を書くが,米長の文章も本当にすばらしい. 立ち読みで読破して,そのままレジに持って行ってしまった.

引退して7年も経つ,まもなく70歳になろうとする米長が,対局までにどのような準備を重ねたか. 対局中になにを考えていたか. それらを綴る文章は,対局者本人だけが体験できる臨場感に満ちており,そこからは迫力すら漂ってくる.

だが本書が本当の意味で魅力的なものになっているのは,皮肉にも米長が今回敗れたことによるところが大きい,と言えるだろう.

本番の対局では,事前の研究が功を奏した形で,米長は序盤でコンピュータに対し圧倒的な優位を築くことに成功する. にもかかわらず,中盤でのわずかな見落としを突かれ,最終的にはコンピュータに完敗を喫してしまう.

この一局にそのまま勝ち切っていれば,米長の構想は,とりわけ二手目6二玉の一着は,歴史的名手として語り継がれることになるはずだった. だがしかし,たった一つのミスにより,その名声は幻と消えてしまう. それだけにとどまらず,新聞等からは6二玉の一着は奇手だったと貶められることになってしまうのだ. その理不尽,悔恨,その他様々な思いが――米長の内面を渦巻く余人には計り知れぬものが,行間から沸き立つその情念が,本書をこの上なく魅力的なものにしている.

6二玉の一着への思いが本書の表の主題とするならば,裏の主題は,米長と米長の奥様との問答においてクライマックスを迎える.

対局前,米長は若手棋士にたびたび尋ねる. 私に勝算はあるかと. 若手は異口同音に答える. 「先生を信じています」 「期待しています」 

この問いに対し,奥様だけは違った答えを返した. 対局当日の朝,米長に問われて返した答えは,

「あなたは勝てません」

米長の奥様は,将棋に関してはコマの動かし方を知っている程度の素人である. にもかかわらず, 「勝てないでしょう」 ではなく 「勝てません」 という断言. これに驚き,なぜ? と問い返す米長. それに対する奥様の返事は,米長にさらなる衝撃をあたえた. 「なぜなら――」 

この奥様の答えに対する米長自身の解釈が,本書の中に幾度か登場している. が,幾度か,どころではなく,じつのところそれこそが本書の全体を貫く思想的根幹である,と私は考えている.

現役時代から米長が生涯のテーマとして考え続けてきた,勝負に勝つためにはどうしたらいいか,そもそも勝負に勝つとはどのようなことか,という問い. その問いが,勝負の場からいったん離れ,再びその場につこうとするとき,また新たな側面を見せることになったのだ.

引退したはずの米長の内に,いまだ消えず燻るプロ棋士としての矜持,勝負師としての情熱. それが本書の表と裏のテーマとなり,読者の胸を打つ. 対人間ではないからこそ純粋な形で浮き彫りにされるその思いが文章の裏に透けて見える. まさにそれこそが,本書の魅力をさらに押し上げているのである.

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# by LIBlog | 2012-03-18 19:23 | マンガ・本 | Comments(0)