マンガ版「紫色のクオリア」一巻 人間,人間ならざるもの

うえお久光,綱島志朗両先生によるマンガ版「紫色のクオリア」の1巻を読んだ.


原作の小説は未読なので今後の展開は分からないのだが,少なくともこの1巻目は非常に面白かった.

物語の主人公はスポーツ万能でサバサバした性格の少女,波濤学(ガクちゃん)と,その親友で紫色のひとみを持つ美少女,毬井ゆかり. 毬井ゆかりには「人間がロボットに見える」らしい. ガクちゃんはそんなゆかりの言うことを半信半疑で聞いていた. しかしある日ガクちゃんは,とあるおぞましい事件に巻き込まれたことをきっかけにして,ゆかりの目に映るものを,驚きとともに受け入れざるを得なくなっていくのだった…….

タイトルに「紫色のクオリア」とあるように,この作品の主題は,通常の人間とはちがった視覚をもつ毬井ゆかりのクオリアの特殊さにある……と思うかもしれない. しかし,そうした哲学的な特殊さ,奇妙さはたしかに面白くはあるのだが,少なくとも一巻においては,物語の主題ではないように私には思われる. 本当の主題は,あまりにも鋭敏すぎる感覚を持ってしまった人物が,いかにして社会に受容されていくか,というところにある. マンガ版「紫色のクオリア」の一巻が描き出しているのは,(「凡人」である)他人に怖れを抱かせてしまうある種の「天才」が,それでも他人を愛し,そして受け入れられていく過程なのだ.

「人間がロボットに見える」という毬井ゆかりの感性とは,哲学で扱われるような「クオリア」や「哲学的ゾンビ」に類するようなものでもなければ,精神疾患による異常や妄想などでもない. 「人間がロボットに見える」のは,毬井ゆかりの特殊な「目」,すなわち感覚器の違いによるものであり,それはたとえば赤外線スコープをつければ暗闇でも目が見える,などといった状況に近い. 毬井ゆかりの「目」はあまりにもするどすぎて,われわれが人間を見るときには見落としてしまうものを見出してしまう(見出してしまうどころか,それに介入することまでできてしまうのだが)のだ. だから,そのような「目」を持っているからといって,彼女が何も感じられないゾンビであるわけではないし,人間を無機質で冷たいものと捉えているわけでもない. この一巻全体を通して,波濤学はそのことを実感することになる.

第一話で,波濤学は毬井ゆかりを抱きしめ,こんなことを考える.


そう言って抱きしめかえしてはくれるけど……
わかってない
わかってはもらえない

きっとあたしの体は
硬くて冷たい
ロボット……

一巻全体を通して描かれるのは,そうではないということなのだ. われわれには硬くて冷たく見えるロボットが,毬井ゆかりにとっては暖かくやわらかな人間と同じなのだから. むしろ彼女は,やすやすとロボットを壊し機械を捨てる われわれのほうの感性を空恐ろしいもののように感じているだろう. それでも毬井ゆかりは自らの鋭敏さをひた隠し,われわれと同じであるかのように振る舞う. そうしなくては,他人から拒絶されてしまうということを知っているからだ. いままで幾度となく,そういう目にあってきたからだ. だからこそ,一巻最後の波濤学の言葉が――自らのすべてを知った後でもなお「友だち」だと言ってくれたその言葉が――毬井ゆかりにはあまりにも貴重なものとして響いたのだ.

だから,ここで毬井ゆかりと対比されているのが,人間をただの肉袋だと感じる凶悪犯なのだ. 彼女の目には,人間はロボットではなく人間として映ってはいるだろう. しかしその「人間」は暖かく血の通ったものではなく,冷たく硬い物体にすぎない.

どれほどその「目」が異質であっても,毬井ゆかりが人間に,親友に受け入れられる可能性はけっして閉ざされはしない. それとまったく同じ理由で,あの凶悪犯がどれほどわれわれと同じ「目」を持っていようが,けっして人間に受け入れられることはないのだ. 彼女の感性は欠陥を抱えたもの,ゆかりに言わせれば「プログラムのバグ」でしかない. 彼女がそれでも人間であるためには,のちのち他の人々に受け入れられる余地を残すためには,是が非でもそうでなくてはいけないのだ. なぜなら,それはあきらかに周囲の人間とは異なる部分をその内に抱えこんでいる毬井ゆかりが,それでも人間に受け入れられるための条件でもあるからである.

感覚が違っていても,あるいはたとえ外見が違っていても,人は人を受け入れることができる. だがどんなに感覚が同じであろうが,外見が同じであろうが,人に人として受け入れられることのない者もいるのだ. この一巻で描かれているのは,人間が何を受け入れ何を受け入れがたく感じるか,その多様性と,同時にその限界でもある,ということなのだろう.

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# by LIBlog | 2012-03-15 22:30 | マンガ・本

「生命科学者の伝記を読む」を読む

仲野徹先生の「なかのとおるの生命科学者の伝記を読む」を読んだ.


あまりの面白さにため息. 卓越した業績を残した科学者の伝記は,その仕事だけ追ったものであっても十分面白いのだが,そのうえその家庭的思想的歴史的社会的背景にまで迫られたら,そりゃーとてつもなく面白くもなろうというものだ.

クレイグ・ベンターや森鴎外の闘いの人生を,前者はおおきな尊敬と親しみをこめて,後者はいくばくかの苛立ちと,やっぱりある種の親しみをこめて語る. 研究に対するジョン・ハンターの狂気と隣りあわせの姿勢を,好奇心丸出しで語る. オズワルド・エイブリーのひたすら真摯な姿勢を,その口調に尊敬と憧憬をたたえつつ語る.

本書は「伝記」ではなく「伝記の書評」のかたちをとっている. それゆえということもあろうが,伝記そのものとちがって基本的にほとんど一次資料にあたってはいない. が,しかしそのぶん著者の主観が色濃く出ていて,そこを楽しめる. 同業者ならばこそ,卓越した研究者の優れたところと困ったところをつまびらかにしていく筆者の評に「あるある」と思わずつぶやかされる. ついでにあとがきはさらにそのまとめ(三次資料?)なのでもっと主観的で面白い. 各伝記の面白い部分はギュッと凝縮して詰め込んである.

「伝記の書評」であるがゆえに,各伝記の紹介としてもすぐれた一冊だといえる.本書は単体でも楽しめるし,さらに気に入った研究者について知りたいと思えば,それぞれの伝記を手に取ればいいのだ.お得感満載.

すこし残念なのは,連載されてたのが専門誌の「細胞工学」なので,彼らの業績そのものの紹介は,非専門家の読者にとってはやや難解なのではないかと思うところ,かな. 子どもや異業種のひとには薦めにくい本かもしれない…….

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# by LIBlog | 2012-03-06 20:55 | マンガ・本

現場とリーダーの情報交換について

粒度が細かい指示について - medtoolzの本館

面白かった. 以下,自戒を込めて思ったことをメモ.


状況を打開していく上で、問題の粒度をふるい分けることは、リーダーの大事な仕事になってくる。

「必要以上に細かい指示」は、普通に回っていた現場に対して、無能がある種の「コミュニケーション」を試みたときに発せられることがあって、これがものすごい迷惑を生む。

粒度のふるい分けは,リーダーの仕事というより,現場の最前線からトップまでのあらゆる段階の人々それぞれの仕事なのではないかと思う.

粒度の錯誤は,トップから現場までのどの段階でも生じうる. しかし,粒度ふるい分け問題が問題として認識されていれば,その錯誤はどの段階でも解消しうる. 粒度の錯誤を最小限にとどめるためにも,現場とトップのコミュニケーションは,トップから降ってくるまで待つのではなく,現場側からトップへも持ちかけるべきだろう.

たとえば現場側がトップ側に対して,問題の粒度をコントロールしながら情報伝達していくことは可能だ. 可能なだけでなく,それは中間管理職とか,ある程度責任を負った現場の人の仕事のひとつであるはず.

問題の粒度をコントロールするためには,現場側は情報をそのまま出すのではなく,整理された形で出さなければいけない.

整理された情報の出し方の一例は,インフォームドコンセントのやりかたに学べると思う.

現場側は複数の選択肢を用意し,それぞれのリスクとベネフィットをトップ側が実感を持てる形で提出する. トップ側はその中の一つを選ぶ. もちろんトップ側から発されるどんな質問にも,現場側は答えられる準備をしておかなくてはいけないけれど.

ただ,このやりかたはトップ側の自尊心に触れる恐れがある.


恐らくはたぶん、業界をまたいだいろんな場所で、「俺はえらいんだ」と誇示したい馬鹿な瞬間が、きっとあるのだと思う。

こうした派生的な微妙かつ繊細な問題については,いかに対処していくかということは私のほうが教えを乞いたいものでございます.

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# by LIBlog | 2012-03-04 19:13 | 雑記

「魔法先生ネギま!」 37巻 ナギとアスナと

赤松健先生の「魔法先生ネギま!」37巻を読んだ.

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以下,ネタバレ含む感想.

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全編の半分はあろうかという魔法世界編が終わり,舞台はひさびさの麻帆良学園. クラスメイトたちと過ごす休日からは,懐かしささえ漂ってくる.

とはいえ,物語そのものは魔法世界編から大きく変わったわけではない. 魔法世界の存亡をかけた戦いはネギたちの勝利に終わったものの,長期的な意味での魔法世界の存続という課題は残されたままだからだ.

今巻では,ずいぶん前からネギが語っていた「プラン」が一体どういうものなのかがようやく明らかになった. ネギの手立てとは,魔力を安定して供給しつづけるような環境を新しくつくりだし,魔法世界の存続を目指すという一発逆転の壮大なもの. この事業が成功すれば,「始まりの魔法使い」と「完全なる世界」たちがもくろんだ計画の前提そのものが失われることになるわけだ.

ネギの「プラン」が目指す目標はすばらしい. それが達成されるなら,どんな対立勢力からも文句は出ないだろう. だが当然ながら,目標さえすばらしければ万事OKというわけにはいかない. その目標は達成可能なものかどうか,が問われねばならないからだ.

もしネギが,われわれがいるこの現実世界であの「プラン」を言い出したら,それは荒唐無稽な笑い話で終わっただろう. いまのこの現実世界の科学技術のレベルでは,たとえ100年のスパンをとって考えても,とてもあのような壮大な目標は達成可能なものとは思われない. だがネギまの作品世界には魔法と魔法世界がある. 魔法世界の科学(魔法?)技術がどれだけのものかはよく分からないが,もしかしたら魔法世界の科学(魔法?)技術をもってすればあの「プラン」は達成可能になるのかもしれない.

じつのところネギの「プラン」を待つまでもなく,あのような計画は以前からあの世界の誰かによって考えられていたであろうことは想像に難くない. 生命力が魔力の源だということが判明したその時点で,政策立案者であれ政治家であれ学者であれ,どうすれば問題が根本的に解決するかが分からないはずはないからだ. ほぼ間違いなく,いったん考慮に入れられた上で,達成不可能だとして捨てられたのだろう.

ところが今のネギには,「計画」を達成する上で,ほかの誰にもない決定的な強みがある. 魔法世界全体を一体化できる圧倒的カリスマだ. 「始まりの魔法使い」たちにとっては皮肉なことに,彼らが全力を尽くして魔法世界を消滅せんと企んだおかげで,それを止めたネギは救国の英雄となった. そのネギ自身が計画し,みずから先頭に立って実行する「プラン」は,魔法世界全体から支持されるに違いない. おそらく(地球世界ではなく)魔法世界において,すさまじい勢いであの「プラン」は遂行されていくだろう. 「始まりの魔法使い」たちは,本人たちの意図とはまったく逆に,ネギのプラン遂行におおいに寄与することになったわけだ.

この「プラン」の遂行により,ネギはナギを超えることになるだろう. いや,すでに今の段階でもうナギを超えていると言っていいかもしれない. 「始まりの魔法使い」を蹴散らしたそのとき,ネギはあれほど憧れ追い求めたナギと実質的に並ぶことになった. その後に英雄として歓迎され,しかし息つく暇なく戦後の諸問題を解決すべく奔走しはじめるところまでそっくりである. ところがネギは,ナギたちには手をつけることができなかった魔法世界存続問題の根本的な解決を目指しはじめた. そのとき,ネギはナギを超えたのだ.

いままでネギは父に憧れひたすらその背を追うだけだった. そのままではネギは決してナギに追いつくことはなかったに違いない. しかしいまや彼はそのことよりも大事なものを見出し,それを追い求めはじめた. まさにそうしはじめたそのとき,ネギはナギを超えたのだ. それはネギがネギ自身になったということなんだよな. いつかの麻帆良武道会でナギにかけられた言葉の通りだ.

さてしかし,読者としては計画の達成可能性ばかりに気を奪われているわけにはいかない. ネギにはまだ重大な問題が残されているのだ. さんざん超えた超えないの話をしておいてアレだが,36巻最後で登場したナギ(らしき人物)について,そして黄昏の姫御子ことアスナ姫――神楽坂明日菜について,である. アレは本当にナギなのか? そうだとしてもそうだとしなくても,アレを今後どうするのか? そしてアスナをどうするのか?

アスナについては,そのまま墓守りとして眠りにつき,そしてネギの計画が達成されたそのときに二人は100年の時を超えて再開を果たす――という展開になっても,じゅうぶんに感動的な物語になるとは思う. 旅立つヒーローと帰る場所を守るヒロインという構図は,きわめて古典的なものではあるがそれだけになじみも深いわけだし. だがしかし,神楽坂明日菜の人格がそのときまでに消失してしまうという可能性が語られたいま,ネギは決して彼女をそのまま眠りにつかせはしないだろう. なぜなら,それは魔法世界編でかつてフェイトに迫られ,一蹴した選択――アスナ一人を犠牲にして自分たちとその周りだけが救われることの拒否――にふたたび立ち返り,それを台無しにしてしまう行為だからだ.

ではどうするのか,という話になるが,残りは38巻の一冊だけということを考えると,おそらくナギ問題とアスナ問題が,同じひとつの問題として解決されるのではないか,と想像している.

……というか連載ではもうここらへんは解決しているのかな. 私は単行本派なので本誌連載がどうなっているのか分かっていないんだよね. すでに答えが出ている(かもしれない)問題を予想することほどバカバカしいことはないような気もするけれど,まあ気にしないでつづけよう.

……んで,ナギ問題を考えると,たぶんあれは本物のナギだろう(残り一冊しかないわけだから別の可能性はありえないと思う). どういうわけかナギは(あるいは“お師匠”も同時に),かつて否定した道を選ぶことになってしまった. あるいはかつて否定した人物そのものになってしまった. それはなぜか. そのわけは,たぶん「始まりの魔法使い」あるいは「造物主」という存在がなんなのか,そして「造物主の鍵」,「コード・オブ・ザ・ライフメーカー」という魔法(?)とはなんなのか,あるいはさらにさかのぼって,魔法世界とはそもそもどのようにして成立したのか,という仕組みそのものに関わっていることなのではないか. そしてその仕組みの中に「黄昏の姫御子」アスナ姫も組み込まれていて,その仕組みを解くことでアスナ姫が墓守りとして眠りにつかずにすむ可能性が開かれることになる――のではなかろうか.

うーむ.マンガ版「ナウシカ」とか「まおゆう」とかに影響されすぎな見方かなあ. というか残り一冊でそこまで語るのはやっぱり無理な気もするなあ.

まあ,これまでに描かれているのに読み落としている情報が残っている可能性も高いと思うので,既刊を読みなおしてみないことにはなんともいえない,かな. しばらくはネギま漬けの生活を楽しみつつ,最終巻が出るのを心待ちに待ちたい. この偉大な傑作の堂々たる完結をリアルタイムで見届けられるのは僥倖だ.


関連記事:

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魔法先生ネギま! 33巻の「完全なる世界」をめぐる一考察

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# by LIBlog | 2012-02-22 21:12 | マンガ・本

シンデレラ候補生:喜多見 柚

ガルシアPの 「シンデレラ候補生:喜多見 柚」 が面白かった,という話.


見るたびに,この出会いがどうして「奇跡」なのか,その意味が変わってくように思われた. それが楽しかった.

以下では,それについて書いてみたい.

ネタバレ格納~

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# by LIBlog | 2012-02-07 00:48 | 動画サイト関連

ぷよm@s part28

連載開始から3周年を迎えた ぷよm@sシリーズ,最新作のpart28が投稿されていますね.


やー,面白いですなー. やっぱ大好きだわー ぷよm@s.

ってわけで格納以下,part28のネタバレ込み感想を.

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# by LIBlog | 2012-01-23 20:34 | 動画サイト関連

「3月のライオン」 反正義の社会適応

羽海野チカ先生の 「3月のライオン」 の話.


今週のヤングアニマルを読んだけど,3月のライオンはやっぱりすげー面白いね. やーしかし,これどうすんだろうな.

当然のことだけど,あのいじめっこたちに対して,共感に訴えかけるような説得が有効とはとても思えない. たとえば 「やられる相手の立場になって考えろ」 と言ってみても,もとよりそんなことは考えた上でやっているに決まってるじゃないか. 彼女たちは,「相手の立場になったらものすごく嫌だろう,だからやるのだ」 という逆説的な動機を持っているに違いない. だってイジメってのは相手が嫌がるからやるものでしょ.

だから,問題を根本的な解決に導こうとするならば,上からムリヤリ徹底的に押さえつけるか,もっと楽しい何かを与えるしかない. ゲンコのひとつもくれてやるとか,なにか夢中になれるようなものを見つけさせるとか.

ただまあ,ゲンコくれてやったり,ある種体育会系なグループの中にぶち込んで「しつけ」というか「矯正」というか「更生」というか,みたいなことをするってのは,問題を根本的に解決する途の一つではあると思うけど,絶対に正しいとは言いたくないのだ. 同じように,いじめっこたちに生きる意味だの充足感だのやりがいだのを与えて,あの無為に淀み閉じている空間から連れだしてやる――なんてのも,これも根本的な解決につながるのだろうけど,それこそが正しいやりかただとは思えないな.

なぜって,そういうのって今いる価値基準から彼ら彼女らを無理矢理ひっぱり出して,別の価値基準へと当てはめる行為だからね. それは公教育の本質ではあるだろうけど,私個人の趣味には合わない.

じゃあなにが私の趣味に合うかというと,価値基準の変更を伴わない叱り方なのだ. たとえば「もっとうまくやれ」みたいな.

我々が暮らしている社会の一般通念からして,あのいじめっこたちの行為が支持されるということはありえない. そしていったんそれが明らかになれば,見逃されるということも,まずもってないだろう. あの行為は明らかに 「悪」 なのだ. 必要でもないのに不幸を生むような行為なのだから.

ではそのようなことをしたい,という欲求を持つ人はどうしたらいいのだろうか. その欲求を捨てられるような今とは違う価値観に身をおく,というのはひとつの途だろう. だがもうひとつの途もある. うまく社会と折り合いをつけ,そういう欲求を持っているということは隠しつつも,その欲求を満たすことが可能な場所に身をおくことだ. 権力のある地位に上りつめたり,そういう 「遊び」 ができる場所や相手を見つけたり.

自分たちが暮らしている社会で一般に共有されてる正義感や倫理観を持ちあわせていない人や,反正義的・反倫理的なことをしたい人がいる. そういう人に対して学校や教師ができるのは,価値観を「矯正」することだけではないはずだ. その性癖をおおっぴらに出さず,その願望をなんとか叶える場所を探すということを教える,というのも,あるいは可能なのではないだろうか. 表層では 「上からムリヤリ徹底的に抑えこむ」 ことは変わらないのだが,その動機がそのようなものだとしたら……. それはやっぱり,なにかがちょっと違ってくるはずだ.

3月のライオンがもし問題を 「解決」 するのならば,その解答はたぶん更生・矯正のほうになるのだろう. 大人気でおおいに売れている作品なのだから,普通に考えたら社会通念と合わないような解答が選ばれることは,まあ,ないだろうと思う. しかもこれは現場で戦ってる人たちの話なんだから,遠くから眺めて他人ごとのように自分の趣味を押し付ける私の視点などは彼ら彼女らにとってどうでもいいことだろうし.

でも,たとえそうであったとしても,もしこの作品が私の予想を裏切って私にとって納得的な 「解決」 を見せてくれたとしたら……. いやー,そうなったらじつに嬉しいなあ,拍手喝采だなあ,とか思ったりするのでした.

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# by LIBlog | 2011-12-19 19:34 | マンガ・本

「ちゃんと描いてますからっ!」 「銀の匙」 「みそララ」

星里もちる先生の 「ちゃんと描いてますからっ!」2巻,読んだ.


いつもいつも原稿を途中でほっぽり出して逃げ出す父親に文句をたれつつも影に徹して原稿を仕上げていた歩未が,今巻では少しずつ独歩の兆しを見せているのが印象的だった. 歩未とお父さん,それぞれに抱える優越感と劣等感が加速していきそうな気がして少しだけわくわく. あさのゆきこ先生の 「夕焼けロケットペンシル」 みたいな展開になるのかなー. 個人的にはもうちょっとこじれてほしいところだがw

………….

荒川弘先生の 「銀の匙」2巻もやっぱり面白かった.


幼い頃から動物の生老病死に間近に接し関わってきた荒川先生の死生観が,主人公の八軒を通してじわりじわりと伝わってくる. これほんと先が楽しみだわ.

………….

それにしても 「銀の匙」 の八軒とか,宮原るり先生の 「みそララ」 の穀物娘たちとかを見てるとしみじみ感じることがある.


あーこいつらは伸びるわー,このまままっすぐ育てば間違いなく伸びるわー,ってね.

そういうポテンシャルがはっきりわかる若者を見ているのは頼もしくもあり,切なくもある. 正直なところを言えば,こいつらに対しては羨望と嫉妬も感じているのだ. こんだけオッサンになると自分がどの程度の奴で,上に行くような奴らがどういう人達なのかもう分かってくるからね. ただまあ,若い人達にどんどん追いぬかれていっても,芽を潰したり足をひっぱったりすることだけはしたくないなー,と思う. みそララの社長のように,せめてこういう子たちの邪魔はしないようにしなきゃ,と誓いを新たにするわたくしであった.

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# by LIBlog | 2011-12-18 18:07 | マンガ・本

2011年2ちゃんVIP SS お気に入り作品

へえ,これはいいまとめだ.

今年の面白かった「SS」教えて|エレファント速報:SSまとめブログ

2ちゃんVIPのSSで今年の良作を紹介しているわけですな.

ここに載っているSSの中で私が好きなのはここらへん:

勇者「冒険の書が完結しない」|エレファント速報:SSまとめブログ

勇者「女魔王との結婚生活」|エレファント速報:SSまとめブログ

……あれ? これだけかなぁ私の趣味に合ったのは.

ならば,ここには挙がっていないもので今年のお気に入りSS作品をいくつか:

女妖怪「わ、私を呼び出した代償が“童貞”だと・・・!?」 : SS宝庫~みんなの暇つぶし~
 長編. 意外なほど大きく盛り上がる物語.

男「ゴホッゴホッ」 淫魔「あら、風邪?」|エレファント速報:SSまとめブログ
 短編. ほのぼの日常系. なにが起こるわけでもないけどこの空気感,好きだ.

幼馴染「私たちってさ : SSちゃんねる
 短編. ラブがコメるだけ……だがそれがいいのだ. 文句あっか.

魔王「今日も平和だ飯がうまい」|エレファント速報:SSまとめブログ
 数シリーズにまたがる長編. オチは賛否両論あるかもしれないけど私は嫌いじゃないな.

魔王「失脚してしまった・・・今後の生活どうしよう・・・」|エレファント速報:SSまとめブログ
 長編. ひねっているように見えるけれど実はストレートに燃える&萌える展開でたいへんけっこうでございます.

女「右足を出します」 男「うむ」|エレファント速報:SSまとめブログ
 短編. 基本だらだら会話で,でも物語中でなにかがちょっと進んだかな,っていうこの感じ,好きだな.

だいたいこんなところだろうか.

私はSSまとめブログに載っているものを眺める程度のライトファンなのだが,この形式の小説は好きなので今後も追いかけていきたいなーと思ってる. いつまでもこの文化が続くといいなあ.

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# by LIBlog | 2011-11-26 18:43 | ねっとさーふぃん

「あいカギ」 人生の充実

犬上すくね先生「あいカギ」が全三巻で完結した.

「あいカギ」3巻


爽やかな終わり方でとても良かった. 近々連載復活の「恋愛ディストーション」とのクロスオーバーも,恋ディスファンとしては嬉しかったな.

以下,感想ともなんともつかぬものを.




────────────────────<ネタバレ回避スペース>────────────────────




物語のメインになるのは,ケン・きいのコンビ. 伝えられずに心の奥にしまい込んでいた思いが姿になったふたりが,クライマックスでかつて果たされなかった思いを遂げ,元の姿にかえっていく. ながく,つよい思いは,そのぶん引っ張り出されるのに力と時間を要したのだが,それだけに願いがかなえられた時の爽快感はとても強いものだ.

…….

さて,すこし一般的な話になるが.

この作品にかぎらず,「思いを果たし消えていく霊」的な存在や,「前世からの生まれ変わりで運命が決まっている人物」というのを物語で目にすることは多い. 恨みを残してこの世を去った人物が復讐を遂げて成仏したり. 愛する人を守って死んだ人物がもう一度生まれ変わってその人と恋をしたり.

これらはみな感動的ですばらしい物語だと思って私も大いに楽しんでいるのだが,同時にどうにも もやもやした読後感が残る. なぜなら彼ら彼女ら (霊だったり生まれ変わった人物だったり) の存在意義・人生の目的が,あらかじめ決定されてしまっているからだ. 宿命的に定められた目標を果たして満足し,消えていく人生(霊性?)や,運命的に定められた路をなぞっていく人生というのは,はたして善いものだと言えるだろうか?

おそらく彼ら彼女らの主観では,善いものであるに違いない. むしろこれ以上ないくらい充実した人生だといえるだろう. はじめからなんの迷いもなくひとつの目標に向かってまっすぐ進み,それを叶えることを目指すだけの人生は,ふらふらとあちらに行きこちらに迷い込む人生よりよほど充実したものであり,その思いを遂げる人生は幸福なものだろう. だがそのことを読者である私が心底から感じ入り,納得することは難しい. 幸福や不幸,善い人生・悪い人生といったものを評価する前提が彼ら彼女らと自分とでは違うからだ.

私や多くの人は,どういう人生を生きるかがあらかじめ決まっていない. 多くの人は人生の目標をみずから選択できるし,選択しなければいけない. 人生の目標などもちろん選ばなくてもいいのだが,どういう人生を生きるかだけは選択しなければいけない. それは不幸なことでも幸福なことでもある. みずから選択した「幸福」は,いついかなるときでも「それは本当に幸福か?」と疑うことができるという意味で確たるものではないが,逆にあらかじめ定められた目標などないから,確たる失敗というものもないからだ. 目的が一義的に定まっていない,あらかじめ充実が約束されていない人生が,われわれが──少なくとも私が──幸福や不幸,善い人生・悪い人生を評価する前提にある.

そんな前提を共有していない彼ら彼女らの幸福感は,本当の意味で自分が得心することはできない. ただその言葉や表情から「読む」ことができるだけだ. 物語からその感覚を「体感」することは難しいが,「読解」することはできる. 「あいカギ」が私にとってハッピーエンドであるのは,体感ではなく読解によるものである. 私の人生よりよほど充実し幸福であるはずのケンやきいの,出征していった彼や待ち続けた彼女ではなく,ほんとうに彼ら自身のためだけの人生に思いを馳せ,少しばかり寂しい思いにとらわれるのは,だからケン・きいとはまったく関係ない私の個人的な感傷にすぎないのだ.

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# by LIBlog | 2011-11-23 21:28 | マンガ・本