子供の今は永遠で,大人は過去を消していく

子供の頃。今は永遠だと思っていた。:ぁゃιぃ(*゚ー゚)NEWS 2nd

子供の頃。今は永遠だと思っていた。
明日も明後日もずっとこうして続いていくような気がしていた。
大人になるってことは自分とは無関係だと思ってた。
大人っていう生き物は自分たちとは別の生き物だと思ってた。

うん,「大人になるってことは自分とは無関係」 だし, 「大人っていう生き物は自分たちとは別の生き物」 だと,私は思う.

そのあとに続く思い出の数々を,私も同じように思い出す. それは楽しかったり,辛かったりして,そしてそうやって思い起こしていると寂しく切ない思いにとらわれる.

だがしかし,それは 「もう二度と戻れない」 からなのかというと,私個人の感覚では,それはちょっと違う気がする. そうではなくてむしろ,自分の子供時代をつぎつぎと消していく寂しさ,みたいなものの方が強いんだよね.

「黒歴史」とかいう言葉があるが,あのころのあれやこれやの行動のうしろにあった理由は,いま思い起こせば訳の分からない,どうでもいいようなものへのこだわりだった. 仲間や大人たちの注意をひきたがったり,自意識過剰でとっぴょうしもないようなことをしてみたり,くだらないことでケンカしたり. で,大人たちはってーと,いっつも無神経でおせっかいで,わかっちゃくれなかったもんだ.

でも,分かってくれる人はいた. 自意識やら何やらをおもんぱかって,生温かい目で見て. いつも無神経で,でもときには自分達につきあってくれたり,ね.

だけど,無神経さやおせっかいや……よりも,その「分かってくれてつきあってくれてる」ことのほうが,自分をいらつかせることが多かった気がする. ありがたいと思いつつ,分かってくれることを嬉しく思いつつ,どうしようもなく苛立って仕方なかった.

たぶん彼ら彼女らは,「ほんとの心情は分からないけど,自分がかつてそうだったことを思い出してみたら分かる」 から,いかにも分かってくれてるような言動ができたのだと思う. そしてそのことの胡散臭さが苛立ちの原因だったんじゃないかな. だって彼ら彼女らは,いかにも分かってるように見せているけど,本当はぜんぜん別の安全地帯みたいなとこから眺めてるようなもんだからねえ. ぼくらが抱えているような (主観的には) とてつもなく深刻な問題を,抱えたりしてはいないんだ.

でも今はもう,自分はそんな自意識過剰さははるか昔にどっかに置いてきてしまい――といっても今は今の自意識過剰さがあるのだと思うが――,ふつうの大人がそうであるような,せいぜい 「かつてそうだったことを思い出す」 程度の,無神経な人間になった. その現在から,いくら子供のころを思い起こしてみても,あのころの心情は「いまの無神経な視点からみた自意識過剰で幼い心情」として思い起こすしかない. それはかつての自分が苛立ったような大人そのものだ.

子供は大人にはならない. なにか 「別の生き物」 になるのだと思う. しかし記憶は残る. その記憶は,かつていたはずの子供をその場から押し出し,上書きして塗りつぶす.

だから本当は,その思い出や郷愁は,私自身の子供時代とは無関係なんだと言い切ってしまいたい. かつての子供の自分を,失いたくないから.

だが,そんなことは不可能だろう. 思い出は,かつての自分そのものとして思い出されるほかはないじゃないか. それ以外にどう思い出したらいいってんだ.

だから,今の自分が生きているということは,同時に過去の自分をつねに塗りつぶしていくということなのだろう. 楽しかった,辛かった,面白かった,苦しかった数々の思い出は,そのときそのときの自分を失わせていくものなのだろう. そのこと自体に寂寞を覚えるのは,なんだかだいぶひねくれているようにも思うけれど,しかし偽らざる自分の本音なんだよねえ.

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by LIBlog | 2011-06-29 19:54 | ねっとさーふぃん | Comments(0)
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