2011年 04月 13日 ( 1 )

キラキラ☆アキラ完結によせて,個人的な雑文を.

曙はる先生の「キラキラ☆アキラ」が3巻で完結した.


快活で可愛くて皆の人気者の女の子アキラと,内気でちょっと太めで手先が器用な男の子桃ちゃん. 幼なじみ二人の関係は,私が望んだ通りの結末を迎えて,とてもとても満足している. 偉大なる傑作というわけではないけれど,一話一話のどれも好きで,アキラは可愛かったし,ああ,いい作品だったなあ,としみじみ思う.

…….

作品の感想は以上に尽きるんだけど,作品自体とはちょっと離れて,なんとなく思うところが少しだけあるので,ここにはそれを書きとどめておきたい.

桃ちゃんのコンプレックスのことである.

最終回目前,ちょっとしたすれ違いで距離ができてしまうアキラと桃ちゃん. それをきっかけに,二人は自分の気持ちに気づく. そして相手の想いにも. お互いに一致した想いを抱えていることに,アキラと桃ちゃんは気づくのだ.

しかし実のところ,アキラと桃ちゃんの想いには決定的に非対称なところがある. 相手へのコンプレックスの有無だ. 桃ちゃんだけが,自分はアキラには不釣り合いだと思っている. 相手への劣等感を抱えている.

お互いの想いが通じた後も,アキラは桃ちゃんの劣等感を完全に理解することはないだろう. うすうす気づいてはいるようだけど,同じ想いを抱えているわけではないのだから, 本当に分かるというのは無理な話というものだ.

アキラと桃ちゃんが接近する直接のきっかけを与えた,アキラに告白するイケメン同級生・青島も,桃ちゃんみたいな劣等感とは無縁の男である. 彼は桃ちゃんに対して,幼なじみとしての関係を羨み,楽してんじゃねーよ! と説教する. しかし彼は桃ちゃんの抱える劣等感を理解した上で そのように説教しているわけではない. 桃ちゃんと,青島に恋するヨーコさんだけが,相手へのコンプレックスを抱いているのだ.

個人的には,たとえば桃ちゃんを手に入れるアキラより,アキラを手に入れる桃ちゃんに対して,より感動する. ああよかったねえ桃ちゃん,と. それは彼だけが,相手を失う恐怖や,自分を否定されるかもしれないことへのためらいだけでなく,自分の劣等感にも打ち勝っているからだ. 同様に青島とヨーコさんがうまくいったとして,私はヨーコさんのほうに,より感情移入して感動しそうな気がする. アキラや青島には悪いけどね.

…….

しかしここで,さらにこう思う. その感動により,否定されてしまう人がいるんじゃないか?

もしアキラが桃ちゃんよりも青島を選んだらどうなっていただろう. 青島は玉砕覚悟でアキラに告白した. 桃ちゃんは劣等感ゆえに,そのような勇気を持てなかった. アキラは青島を選んでもよかったはずだ. もしそうなっていたら,桃ちゃんはどうしただろうか. ……おそらく告白しなかったことをずっと後悔しながら生きていくか,あるいは「もともと不釣り合いだったんだ,一時期だけでも楽しい思い出ができてよかった」と諦めたことだろう.

このとき桃ちゃんは,単にアキラを失っているだけではない.彼は二重の意味で否定されているのだと思う.

…….

イソップの「すっぱいぶどう」の話で,キツネは手に入らなかったぶどうを,あれはすっぱいぶどうに違いないと考えて自分を慰める. このときキツネは単にぶどうを手に入れられなかっただけでなく,そうして自分を慰める人生,人生観を,他者である我々に否定される運命にある. そうする以外に,我々がこの物語を読む読み方はないだろう. このときキツネは二重の意味で否定されている. ぶどうを手に入れられないということだけでなく,それがすっぱいぶどうなのだという自分に対する慰めすら,他者から必然的に否定されることになるからだ.

もし桃ちゃんが,アキラは高嶺の花だったのだと自分をなぐさめ諦めたとしたら,その人生を肯定する視点はない. そのような人生観でいいのだ,と認めてあげる人はいないし,その物語をそう読むような観点もないからだ. そのとき彼にはアキラを失う人生だけでなく,その人生観すら読者に否定される人生が待っている. 青島が桃ちゃんを説教するのは,まさにそのような観点から桃ちゃんを見てのことである.

青島の説教に応えて,はしごを登りアキラを抱きしめる桃ちゃんは感動的だ. しかし,そうすることができた桃ちゃんに感動することは,そうすることができなかった桃ちゃん (そんな桃ちゃんはどこにもいないんだけど) を,そしてそのことをあきらめて自分を慰める桃ちゃんを,否定することと表裏一体である. 私は,そうすることができなかった桃ちゃん (いや,繰り返すが実際にはそんな桃ちゃんはいないんだけど!) を否定したくない. そんな彼を肯定したい. その肯定を支えるどんな根拠も,私自身は持ち合わせていないにもかかわらず.

それはたぶん,山のような後悔を抱えて,ありえた過去を想像しながら自分を慰めて生きる私自身を否定したくないという気持ちから出てきている感情なのだろう. どうしたって強者の立場に立つことができなかった自分を否定したくないという思いが,仮定の仮定のさらにまた仮定の中にしかないダメダメな桃ちゃんへの感情移入を誘うのである.

…….

繰り返しになるけれど,これは「キラキラ☆アキラ」という作品自体の感想とはまったくかけ離れた個人的な感想にすぎない. 作品自体はとても楽しんで読んだし,その評価とはまったく独立した文章であるということだけ最後に強調しておきたい.

[PR]
by LIBlog | 2011-04-13 21:40 | マンガ・本 | Comments(0)